20世紀 にっぽん人の記憶 「オー、モーレツ」
会社人間養成 研修ブーム

「仕事は男の戦場だ」「気力は体力に先行する」
1969年(昭和44年)、都内の電機メーカーの社員だった男性は、箱根山中の研修所で、大きな声を張り上げた。天井からは、黒墨で書かれたげき文がつるされていた。2泊3日のスケジュールで、テーマごとの討論会は、相手を論破するまで延々続く。討論というよりは、ば声の飛ばし合いに近い。中には、精神的に追い詰められ、泣きだす社員もいた。睡眠をほとんど取れないのに、早朝からは2キロのマラソンも強制され、講師がムチのようなものを持って追いかけてきたという。
 現在、50代になるこの男性は研修を振り返り、「参加しつつどこか冷ややかに見ていた。今も酒の席で話題になったりするが、あの研修が仕事で役に立ったとは思わない」と語った。
高度成長期「みそぎ」や「座禅」など精神修業的なプログラムや軍隊式しごきを取り入れた社員研修がブームになった。「モーレツ特訓」とマスコミから命名され、話題を呼んだ。 こうした過激な研修は一部だったとはいえ、多くの企業では、様々な形で社員や管理職研修を採用し始めた時期で'もあった。
「人や組織の活性化という点で、当時の社員研修は一定の成果を上げた。今に比べれば、会社の色に染めようという側面が強かったが、それはそれで合理的な考え方だった。
 30年余り、多くの企業の管理職研修に携わってきた、日本IBM人事サービス顧問、稲山耕司さん(65)はそう振り返る。「当時は、全体のパイが広がっていって、日本人も自信を持ち始ていたから、モーレツでもよかった。今は個性重視であり、当時の研修のやり方は、そのままでは通用しない」。
かつてのモーレツ社員たちは、当時の企業風土をどう受け止めていたのか。 
「高度成長期の成功を全部否定しないが、負の遺産もたくさんあった」。組織風土改革について、企業などへの助言を続けている、「人と情報の研究所」代表、北村三郎さん(63)は語気を強める。北村さんは1961年、「いすゞ自動車」に入社。つねに上を目指すモーレツ社員だった。80年代、同社のTQC(総合的品質管理)活動が、上からの押し付けと感じ、会社に異議を唱えた。その後、社員レベルでの社内風土改革の旗振り役を務めためたが、3年前に退職した。
「あのころの多くの企業が、一種のマインドコントロールによって社員を規格化していた。イエスマンとして出世した人間が、その後、どんどん経営陣に加わり、90年代、企業の不祥事が相次いだ。自分の頭で考えることのできない無責任な企業幹部を育てたことも負の遺産だ」と言い切る。

 一方、自他ともに認める「モーレツ社員」だった東京都世田谷区の井上正明さん(60)は、「あのころは、仕事に疲れたら、さりげなく飲みに誘ってくれる上司がいて、励まされた。『あの上司のためならやろう』という気持ちになることがたくさんあった」と話す。井上さんは1962年、ブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)に入社し、営業畑を中心に歩いた。関東甲信越地区の系列ディーラーを回り、それぞれの販売活動をサポートし運送会社、小売店、ガソリンスタンドにも顔を出すため、とにかく出張の連続だった。役員になった後、今年2月までの3年間は、同社関連の販売会社社長を勤めた。今年2月の退任を機に、それまで社員に話した説話を、「社員へのラブレター」と題する本にまとめ出版した。
「高度成長期はモーレツでも人はついてきたが、今はそうじゃない。売り上げだとか利益ばかりに目を奪われず、社員のやる気をどう高めていくかが重要になっている」丸善石油のCMが「モーレツ」ブームを巻きおこしてから約31年。かつてのモーレツ社員の多くはすでに退職している。モーレツぶりを嬉しそうに振りかえった人。企業社会に厳しい指摘をした人。「モ−レツとは何だったか」とう問いへの答えは様々だが、企業を取り巻く環境は大きく変わった。
(読売新聞朝刊 平成12年3月17日号より)

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