北村さんは、いすゞ自動車在職中、50半ばから自らを窓際部長と称し、ユニークな活動を展開してきた。サラリーマンの出世競争から離れた立場で、同社の風土改革に取り組んできたのである。昨年12月、定年退職を迎え、これからは社外コンサルタントとして、同社の風土改革に係わる。
他社からも手伝ってほしいという依頼がきて、自分個人の会社もつくった。
「自分の人生が60歳を過ぎてもお役立ちできるなら、こんなに幸せなことはない」と語る。
サラリーマンのハッピーな人生とは何か。北村さんの話は参考になるに違いない。人生劇場5幕劇を目指して
北村さんは、尾崎士郎の「人生劇場」をモデルにサラリーマンの人生を、次の三つの表のように例える。第3幕までしかない人生は、右肩あがりの時代に通用した人生である。「20歳から60歳までの40年間、適応し続けてしまうというのが、今までの人生です。適応というのは、自分の頭で考えるのではなく、上から言われたことに対処していくということです。部長になっても、自分がどう考えているかということよりも、常務や専務がどう考えているかということばかりに心を砕いてしまう人が多いですね。これからの時代、通行人ではなく、主役やわき役として舞台に立ちたいのなら、40歳で自立することが大事だと思います」
北村さんのいう自立とは、組織から離れるというのではなく、自分の夢や、やりたいことを、組織の中で実現していくということだ。
「私もいろいろなところへ飛ばされたりしましたが、無駄になったキャリアは一つもないと思っています。挫折したことも大事なキャリアになっている。だから、今まで得てきたキャリアを土台にして、40歳になったら何かテーマを見つけることが大事だと思います」 やりたいことが見つかったら、それを事あるごとに上司に話す。10年もすれば、いずれは納まるところに納まるというのが、北村さんの持論である。特にこれからは会社側も、能力があれば、やりたい人にやりたい事をやらせるという方向に、進んでいくはずだ。
「どうしても会社の中でやりたいことを実現する場がないなら、外へ出るのも選択肢の一つ」とも。
さらに、北村さんが最近考えていることは、第4幕は余韻ではなく本番の時代ではないかということ。テーマを持ち、それを深く掘り下げて実践したかどうかで、60歳以降の人生が「余韻」になるか「本番」になるかが決まる。
リフレッシュ休暇が生き方を変えるきっかけに
今まさに、人生劇場の本番を迎えた北村さんだが、ご自身が「風土改革」というテーマに決めたのは、50代に入ってからである。
50代を迎えた北村さんが、海外部品部長から業務合理化推進室の部長になった頃、いすゞ自動車ではTQCが盛んに行われていた。デミング賞を目標に、全社一丸となって取り組んでいる最中だった。しかし、同社ではこの活動がノルマ化し、やらせとツジツマ合わせの活動に流れていたのである。
「TQCは会社をよくするための手段のはずなのに、それが目的化してしまったんです。お客様に対応する時間まで割いて、報告書や活動の資料を作成している。こんなことばかりやっていると、お客様を失うことになる、会社がだめになると思いました」
しかし、一旦動き始めた大きな組織の流れを変えることは、そう簡単ではない。何かしなければ、という気持ちはあるものの、どうしたらいいかわからない。
「とにかく職場を離れたかった。それと自分の人生を見直してみたかったということもあります」
北村さんは、20代30代は出世の先頭をきっていたが、能力開発課長時代に、担当役員とそりが合わなくなり、出世にブレーキがかかった。
もともと北村さんは、高校時代ケンカをして退学処分を受け、夜学に通った“実績”の持ち主である
「僕も、どうしたら会社の中で偉くなれるだろうかと、管理社会に合わせて、随分努力したんです。でも言いたいことを言うし、やりたいことをやるという、本来の性格が出てしまったわけです」
50代になった時には、出世の先頭集団からは随分遅れをとっていた。出世に対する断ち切れない思いも心のどこかでくすぶっていた。仕事の悩みとこれからの人生に対する不安をかかえて、北村さんはリフレッシュ休暇を利用して、ずっと前に交流が途絶えてしまった旧友を訪ねる旅を計画する。再会できた友人は66人。この旅を通して北村さんはさまざまな人生に出会った。
「世の中は広いな、と思いました。会社というたこ壷の中で出世にこだわっていてもしようがないと、そのとき、きっぱりと吹っ切れたんです」窓際部長の挑戦
リフレッシュ休暇が価値観を変え、生き方を変えるきっかけとなった。
「もう、出世しなくてもいい。最後に意義のある仕事をやりたい。意味のない活動になっているTQCを見直すために、風土改革に取り組もうと決心したんです。
私の年齢になると“生きる”ことの意味を考えるようになります。このサラリーマン人生で、私が本当に目指したいことは何なのか。このことをつきつめて考えてみた結果、風土改革に自分の能力を使ってみようという結論に達したのです」
北村さんは外部、内部に協力者を求め、勉強会という形で改革運動を始めた。一方、社長と社員の本音座談会を企画したことで、TQCの問題点が浮き彫りになった。これは会社がTQCを見直す一つのきっかけとなり、風土改革に取り組む契機ともなった。
「今はやる気になれば、誰でもできると自信をもって言えますが、当時は本当にできるかどうかわからなかった。今でこそこうして笑っていられるけれど、当時は円形脱毛症になってしまったんですよ」
会社の問題点がわかっていても、それを変えるために行動する人はそう多くないだろう。下手に行動すれば、出る杭として打たれてしまうかもしれない。かなりのエネルギーとファイティングスピリッツがいるはずだ。北村さんが行動をおこしたその原動力は何だったのだろうか。
「私は商家に生まれたんです。父は丁稚小僧からたたきあげて、一代で財をなした経営者です。私も小さい頃から店の手伝いをして、商売に対する経営感覚みたいなものを養ってきた。ビジネスは商品とお客様なんです。ビジネスの原点、商売の原点を考えてみれば、私の考え方は絶対に間違っていないと確信していました。それと、人から言われてやろうとしたのではなく、自分で決心して自分でやろうとしたことですから、引くわけにはいかないということですね」
窓際部長と自ら称し、舞台の裏方に徹したことも、改革を進めるのにプラスに作用した。
「自分の出世のためでは、これほどのエネルギーは出なかったかもしれませんね。単なる好き嫌いやエゴイズムでは、仲間は集まらないし、成功もしなかっただろうと思います」行動して壁にぶつかると知恵が生まれる
「知行合一という言葉があります。人間はものを知ることが大事ですが、知っているだけではだめなんですね。行動しないと。行動すると壁にぶつかって何かを知る。そしてまた行動する。知と行がスパイラル状態になって広がっていくことが、人間の成長ではないでしょうか。とにかく行動することが大事だと思います」
現在、いすゞ自動車では風土改革が着々と進んでいる。基本方針は(1)部分展開でやる、(2)やりたい人が改革をやる、(3)社員が共有している価値観を変える、(4)改革推進室をおかないという4つ。今までの失敗を繰り返さないために、今までにない新しいやり方をとった。
「試行錯誤を繰り返しながら、やってきたわけですが、いすゞの大企業病の病名は〔行き過ぎた部分最適病〕〔つじつま合わせ病〕〔やらせ・やらされ病〕という3つだという共通認識が生まれたんです。この病気の原因は、社員の人間観と情報観に問題がありそうだということになりました。
例えば、情報は隠すものであるとか、人間は指示しなければ仕事をしないという考え方などです。そういう古い情報観、人間観を21世紀型に対応するものに変えていく必要があると。風土は社員一人ひとりの集合体ですから、社員の価値観が変わらないといけない。それが大企業病を直す治療法であるという仮説をたてたんです」全部をキャリアにしてしまおう
キーワードは人と情報。人と情報の価値観を研究することが、北村さんの現在のテーマである。ご自身の会社は、そのキーワードをそのまま社名にしている。
「もともとは会社をつくろうなんて、思っていなかったのですが、いすゞの中でやってきたことが、どうも他社にも役立つらしいということになってきたんですね。手伝ってほしいと声をかけていただいたので、それならば、定年退職したら会社をつくってやってみようかと思うようになりました」
それが、「人と情報の研究所」である。この会社の他に、北村さんは(株)コアという会社の副社長も務めている。同社はいすゞが30%出資しているコンサルタント会社である。
「会社をつくって風土改革を引き続きやってくれということになりまして、一緒にやってきた山内さんという人を社長にして、僕は定年と同時に副社長になりました」
計画性はなく、成り行きで自分の会社を持つことになったという北村さん。やはり一つのテーマをとことん追求したことが、現在の結果を生んだといえるだろう。
「どこの会社に入社するか、どこに配属になるか、どんな上司のもとにつくか、すべては偶然性、運だったと思っています。どんな部署に配属されても、その時々でベストを尽くしていれば、それが全部キャリアになるんですね」
努力したことは必ず、いつかどこかで評価され、自分にかえってくる…。そう考えたい。
「ここまで来たんだから、やれるところまでやろうと思っています。生涯現役を目指してね。私と会うとなぜか元気が出ると言われます」
北村さんが醸しだすプラス思考のエネルギーは、周りの人を元気づける作用があるらしい。