社外交流で社内明るく

 企業風土の改善を目的にしたいすゞ自動車の「100人委員会」の活動がスタートして2年。大企業病におかされた社内の風通しをよくし、硬直化した組織を解きほぐすのが狙いだ。社内の交流を中心にした第1幕は終了。舞台を社外に移した第2幕が開いた。“暗”から“明”へのムード作りーー社風改造作戦のその後を追った。
都内で上演中の「劇団ふるさときゃらばん」によるミュージカル「裸になったサラリーマン」が話題を呼んでいる。できない部下3人を倒産寸前の子会社に出向させた大手電気メーカー次長が、自らもリストラされ、かつての部下とともに再建に取り組むというのがあらすじ。
「体質改善」とテーマにした会議の場面はこんな風だ。
営業マン「しょっちゅう納期に遅れているような会社にいい仕事なんかまわってくるはずないよ」
製造担当社「絶対間に合いっこないような納期の仕事請け負ってこられちゃ責任とれねーよな」
よくある製造と営業の責任のなすり合いの構図だ。リアルなセリフの応酬は、実際に劇団制作部が工場やオフィスに足を運んでサラリーマン、OLへ取材した会社物語ならではだ。
この制作に、いすゞの100人委員会が協力した。約10人が取材に対応、さらに衣装協力もしている。劇に出てくる倒産しかかった子会社、河島工業の社員の作業着もいすゞが提供したものだ。
河島工業の窮状は、少し前のいすゞの苦境に通じる。いすゞは91年10月期に約484億円の大幅な経常赤字を計上。翌期末の累損は500億円超に膨らみ、乗用車生産からの撤退など難題が山積していた。トヨタ、日産とならぶ御三家だったという老舗意識、硬直化した指揮命令系統、沈滞した雰囲気ーー。
このため、部署や役職の立場を越え率直な意見の交換を目的に、松香宏道専務(現副社長)を担当役員として92年末に旗揚げされたのが100人委員会。当時は「病気で言えばがんの末期」(北村三郎人事部門担当役員付部長)。瀬戸際の状況にあるという認識が活動に拍車をかける起爆剤になった。「病気の原因は分かった。いまはどんどん治療を進めている段階」と現状分析する。
「個々の細胞=社員が活性化し、血液=情報が流れやすくなれば、徐々に隣接する細胞に波及して情報の流れる範囲が広がる」(北村氏)。社内での交流 場は100回以上に。各職場の情報に対する感度は高まり、社外を巻き込んだ活動に向かう。
一例が中堅企業との交流。12月12日、墨田区の中堅企業 11社の交流グループ「ラッシュすみだ」といすゞの現場技術者とで交流会を開く。「ラッシュすみだ」からは10数人が出席、いすゞ側は全国から20人集まる予定だ。大企業では少なくなった腕利きの職人の話しを聞いて、もの作りの基本を学び直す試み。「これまでも地方の中堅企業との交流はあったが、いすゞのような上場企業からの申し入れは珍しい」(すみだ中小企業センター)と言う。
「会社の実態を知りたい」。川崎工場の区長で構成する100人委員会では経理部長、販売部門担当補佐、販売会社役員を呼んで勉強会を主催した。また外部から講師を招き講演会も頻繁に開いている。これまで住友金属鉱山の元常務で富士短期大学教授の猿谷雅治氏、自動車経営開発研究所所長の吉田信美氏などを招いた。
フジゲン会長の横内祐一郎氏もその一人。農業から転身、わずか一代で世界一のエレキギターのメーカーを作り上げた成功物語が川崎工場の従業員の心を打った。わざわざ川崎から区長、班長20人がフジゲン本社のある松本市に押しかけて講演会を実現させた。すでに川崎工場、藤沢工場で数回開いた。
色々な分野の専門家から最新の情報や色々な考え方を聞くことで、着実に意識改革が進んでいる。
ユニークな分社経営で知られる前川制作所には今春からいすゞの社員が足しげく通っている。現在、「21世紀の人と企業組織のあり方を考える会」「若手技術者の市場戦略・製品開発に関する勉強会」など複数の会合が開かれている。
これら勉強会、交流会に対して「単なる自己満足。会社にとって何か具体的なメリットがあるのか」と冷ややかな見方がないわけではない。前川製作所の岩崎嘉夫スタッフ集中機構部長は「最初から成果を求めず、肩に力を入れないほうが逆に成果を生むのではないか」と話す。
社風改造を進める一方で、乗用車の自社生産中止、本田技研工業からOEM(相手先ブランドによる生産)調達をするなど大胆な戦略転換をはかった。折しもトラック需要の回復による環境の好転も追い風となり、社内のムードは徐々に変わってきた。94年10月期は4期振りに経常損益が黒字転換した模様。
来年2月25日には、1200人入る劇場を借り切って「裸になったサラリーマン」の観劇会を開く。関和平社長と松香副社長に2枚ずつチケットを渡した。
100人委員会の世話人の一人、手塚利男人事部課長は「社員が会社を変えるというキーワードが委員会の活動とぴったり一致する」と語る。劇のハッピーエンドといすゞの再生を重ね合せている。

【100人委員会】

 92年末、企業風土改善を目的に会社が抱える問題について本音で意見をぶつけあういわばブレーンストーミングの場として始まった。「100人」は実際の人数ではなく不特定多数を意味する。最初は部長クラスの100人委員会から始まり「オールいすゞ100人委員会」「川崎工場100人委員会」「商品企画100人委員会」など部門別、事業所別に複数の委員会が活動してきた。
上からのお仕着せを排し現場の自主性を重んじるのがルール。事務局も設けず世話人と称する人たちが役立ちそうな情報の提供を行っている。現在は職場ごとに自発的に勉強会、講演会を催すなど多様な活動を展開している。いすゞの関和平社長は「いすゞの皆様へ」という小冊子で「形式主義、机上論、セクショナリズムがはびこり全社的に活性に乏しい」として風土改善の必要性を訴えていた。

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