心の休暇

【1】旧友と再会へ旅立ち

 「旧友を訪ねる旅をしよう」。いすゞ自動車勤務の北村三郎さん(53)はとっさにそう決めた。昨年四月初め、会社が部長職を対象にした長期休暇制度の導入を計画していると内々に耳にしたときのことだ。
北村さんは、自分でも認める「会社人間」。月ごとにもらう給与明細書は入社以来、一枚も欠かさずに大切に保存してきた。もう400枚近くたまったその紙の一枚一枚に、「自分が社内で追ってきた目標や努力、その成果がすべて凝縮されている」と思うからだ。20数年間、がむしゃらに働き、社内でそれなりの地位も得た。“明細書にかけた人生”に悔いはなかった。
しかし、こうした信念も50才を迎えたころから次第に揺らいできた。「何かを置き去りにしてしまった」という思いにとらわれ始めたのだ。切実にそう感じたのは、ずっと前に交流が途絶えた中学や高校、大学の友人たちのこと。いつも仕事上の付き合い優先で、音信不通になっても忙しさにかまけて放ったままにしてしまった。例えば、年賀状にしても、その大半が会社関係であることに以前なら何も感じなかったが、最近は妙に寂しさを覚える。
北村さんは現在は同社の教育部門を独立させた関連会社に社長として出向中だが、当時は本社の室長。長期休暇制度が導入されれば、当然、対象者となる。過ごし方を決めると、社からの正式な発表が待ちきれず、ひそかに準備にとりかかった。
まず始めたのは旧友のリストアップ。古い手紙を引っ張り出したり、学校に頼んで当時の名簿も取り寄せた。ワープロに打ち込んでいく名前はどれも懐かしく、明日にでも会いたくなってくる。消息の分からない友人は人づてに聞いた断片的な情報をつなぎあわせ、約1ヵ月で100人分のリストを仕上げた。
4月下旬、部長職を集めて長期休暇の説明会が開かれた。「休暇は2週間ですが、希望すれば4週間に延長できます」。担当者の説明に、北村さんは早速、名乗りをあげた。休暇時期は5月下旬から、と決まった。
ゴールデンウイークに入ると、会う人に電話でアポイントを入れる作業を開始した。
「中学時代に同級だった北村だけど、覚えてる?」
「えっ、北村って、もしかしてさぶちゃんか?懐かしいな。高校出て以来だから、35年ぶりだぜ」
突然の電話にみんな驚いた様子だった。実際使えるのは20日間だけだったので、20人程度との再開を予定していたが、結局66人と会う約束が入った。一日平均3人で、その上、仙台から兵庫県の姫路まで全国12都市を回る強行スケジュール。しかし、北村さんは「絶対にやり遂げなくては」と思った。失われた関係を取り戻す旅が始まった。

【2】肩書のない名刺に…

 「悪いけど会いたくない」。北村さんがかけた電話を多くの旧友たちは手放しで歓迎してくれたが、時には思いもよらない拒絶も受けた。「会える状況じゃないんだ。勘弁してくれよ」。
相手は大学時代に仲の良かった同級生。今回の旧友訪問のなかでも欠かせない人物のひとりだった。
彼は大学を卒業すると食品メーカーに就職。詳しい事情は分からないが、そこは3年で辞め、語学教材の会社に転職した。10数年勤めたあと、40代後半になって脱サラ。友人と共同出資で魚の卸の会社を作ったが、3年で倒産し、一年前から専門学校で事務員をやっている。北村さんは卒業以来、彼とはほとんど会っていなかったが、別の友人からそんな経歴を聞いていた。
再開を渋る彼を説き伏せて、半ば強引に会う約束を取り付けた。休暇に入って職場の専門学校を訪ねたとき、北村さんは思わず自分の目を疑った。学生時代の面影は残っていたが、やつれた表情は同い年のはずの自分より10才は年上に見えた。彼がこれまでしてきた経験を、それは何よりも雄弁に語っていた。
「久しぶり」。そういって交換した彼の名刺には肩書がなかった。よく見ると職場の上司はほとんど彼より年下だった。
「今度、同窓会を開くことになったんだ。君もきてくれるよな」。北村さんの旧友訪問がきっかけとなって、秋に28年ぶりの大学時代のクラス会が開かれることになっていた。ことの経緯から幹事は北村さんと決まっていた。「うん。行くよ」。その後、二人はお互いの近況報告をしあって別れた。
しかし、いよいよ同窓会が2日後となった晩、電話で「急用ができて行けなくなった」。北村さんの同期でサラリーマンなら、ほとんどが管理職になっている。しかも大手企業が多い。「ヒラってことをやはり気にしているのかな」。
同窓会は楽しく進んだが、北村さんの心は晴れなかった。席上、そんな話題を出してみると、「おれにはその気持ちが分かるな」。そう言ったのは不動産業で成功し、羽振りのよさで皆にため息をつかせた九州の同級生だった。彼はいろんな事業をこれまで手がけ、絶頂期も経験したが、借金取りに追われる生活もした。浮き沈みの多い人生で、「同窓会の話が5年前にあったらおれはこなかっただろうな」。
最近になって、専門学校職員の同級生が「室長」の肩書の管理職になったと人づてに聞いた。自分のことのようにうれしくなって連絡を取ると電話口から弾んだ声が返ってきた。「次の同窓会にはきっと出るよ。それから、できれば同窓会の名簿も送ってほしいんだけど」。

【3】66人の人生模様

 35年ぶりの中学の同級生。なまいきだった自分を温かく見守ってくれた高校の国語教師。同じ女の子を好きになったクラスメート。
北村さんの旧友再開の旅は東京に始まり、東北、次いで西日本方面へと続いた。最初は多少他人行儀でも、話し方や仕草にかつての面影を見つけると20年、30年の空白はたちまち埋ってしまう。「本当に来たんだね。もう、一生会えないかと思ってたよ」目を潤ませて、肩をポンポンとたたく昔の友。
仕事、仕事で走り続けて、ふと立ち止まると、損得抜きに付き合っていた若い日の友人が無性に懐かしい。50代という世代のせいかもしれない。みんな同じ思いを持っているようだった。
サラリーマンを辞めて僧りょになった大学の同級生がいた。ビデオカメラマンとして成功しながら、画家になる夢をあきらめきれずにパリに遊学、妻と別れることになった美術部の友人もいた。愛媛県の知多半島には親友がランを栽培して暮らしている。朝は海釣りに出かけ、日中、ランに水をやり、夜は大好きなジャズを聞きながら家族と語らう悠々自適の生活だ。政党職員になった高校のクラスメートとは、学生時代のような政治論争までした。
再開した66人がそれぞれ持つ66の人生物語。「みんなしたたかに生きてるな」。北村さんは、徐々に旧友訪問の旅の意義の大きさを実感し始めた。
「息子が暴力団に入っちゃってね。抜け出せなくて困ってるんだ」。休暇が中盤にさしかかったころのことだった。ある友人からそんな話を聞かされて胸がつまる思いがした。
実は彼とは卒業後も仕事の関係で何度か会っていた。最近、浮かない顔をしていることが多かったので心配していたが、「元気ないじゃない」などと通り一ぺんの呼びかけだけで別れ、慌ただしく次の仕事に飛んでいたのだ。
彼がそんな深刻な悩みを持っているとは思わなかった。親身に聞いてやればどうにかなった、というわけでもないだろう。ただ、仕事優先のあまり旧友の苦境にさえ気付かないような自分を、今さらながら恨めしく思った。
旅も終わりに近づくと肉体的には疲労がピークに達していた。電車で寝込んでしまい、終点で起こされることもあった。ただ会いたいというだけで20日間も66人を訪ねる計画は無謀だったのかもしれない。
「リフレッシュ休暇なんていって、全然リフレッシュになってないんじゃない?」。ある友人はそういってまじめに心配した。ただ気持ちだけは不思議に充実していた。

【4】友の目で自分再発見

 「あなたが66番目です」。北村さんが最後に訪れたのは、企業変革を手がけているコンサルタント。最近、そのコンサルタントの著書を読み感動したのでぜひ会いたいと思った。初めての出会いだった。
再会の休暇は終わった。中学時代の友人5人、高校時代14人、大学のクラスメート20人、大学のゼミ仲間が7人、社会人になってからの知人が20人。休暇中の移動総距離は3000キロ近い。「よくやれたもんだ」。感慨はひとしおだった。
この旧友訪問旅行は終わってみれば、「自分再発見の旅」でもあったのではないかと、北村さんは思う。自分がだれからどんな影響を受けたか、旧友の目を通して昔の自分と変わったところ、変わっていないところがおぼろ気ながら分かった気がするからだ。
残念だったのはどうしても小学校時代の親友たちに会えなかったこと。北村さんが東京都北区の東十条で小学校を終えたのは終戦直後の混乱期。北村さんは中学で東京・日本橋に移ったため、同級生とはそれっきりになってしまった。学校に問い合わせたが、当時の児童名簿は残っていなかった。
北村さんは今も、旧友との再開を続けている。休暇中に出張中で会えなかったり、その後連絡がついたりした30人を暇をみて少しずつ訪問しているのだ。そんななかから、小学校時代の仲間の意外な消息がつかめるかもしれない。
先週、北村さんの元にベルギー・アントワープから一通の手紙が届いた。数年前、一緒に仕事をした米自動車会社の現地事務所のトップが引退することになり、その記念パーティーに「北村さんもメッセージを寄せてほしい」との内容だった。
彼は仕事相手としてはやりにくい「気難し屋」だった。しかし、最後には打ち解けて、現地の居酒屋で飲み明かしたこともあった。それだけに思い出深い。
手紙を読みながら、仕事を通じて親しくなった外国人の顔が次々に浮かんだ。「旧友再開の旅・海外編」。次の目標が決まった。
模造紙を何枚か張り合わせたうえに並べられた66枚の写真。休暇中に再開した友人を撮った写真を北村さんは大切に保存している。これからはこの写真が少しずつ増えていくことになるだろう。
会社内での自己実現のシンボルとして「財産」にしてきた給与明細書は、いずれはただの紙きれになる。「これからはこっちかな」。北村さんは定年後にも楽しみを残すこの“写真集”を手にしながら、その重さをかみしめている。
   
(1992年7月、日本経済新聞に連載)

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