1大企業病の典型的な兆候とは?
資料作成会社から良い製品は生まれない
当社の場合、会社の歴史が50年以上なんです。ということは、会社として非常に成熟してきているし、従業員数も約1万8000人と規模も大きい。ですから、大企業病というのはどうしても避けられないんです。
もちろん、どんな会社でも100%健全な会社はありませんが、大企業病といわれる次のような症状が目立って表われてきたら要注意です。
@ やたらに資料を作る。
A 会議が形式的になる。
B 悪い情報が流れない。
C 部署の利益を守り、組織の壁ができる。
D 仕事の仕方がマンネリでチャレンジしなくなる。
情報に関していえば、横に流れないだけでなく、とくに上には、いいこと、うまくいったことは伝えるんですけど、悪い情報は止めてしまう。これがすごく特徴的ですね。
それから会議なんかも、どこの会社でも起きていることだと思いますが、出席者がホストとゲストという関係になってくるんです。ホストというのはその会議体の主座で、自分なりの目的をもって招集します。そして、それを会議に出た人にやらせたり、報告を受けたりして会議を利用するわけです。
そうするとゲストのほう、いわゆるお客さんのほうは、なんとかそこでかたちを取りつくろって、その場をうまくやり過ごそう、なるべく荷物や宿題を背負わないようにしようと、そういう関係、役割になってくるんです。したがって会議が活性化しなくなる。
また上のほうの会議になると、社長とか役員とかが出てきていろいろと質問するわけです。そうすると、そこでうまく答えることが能力があるように見えますから、そのためにものすごく勉強してくるわけです。資料もいっぱい作ってくる。で、9割の資料はその場で使われないで終わる。
ですから当社では、トップの方にお願いして、その会議に必要なこと以外は質問しないでもらうようにしています。たとえば商品開発の話をしているのに、「そのマーケットはアメリカではどうなってる」。これは関連質問です。テーマに関して関連質問しようと思えばいっぱいあります。そういう不測の事態に備えて資料をいろいろ用意してくる。そのために若い人たちは、残業したり、休日に出勤して一所懸命に資料を作ってるわけです。
というのも会議が評価の場みたいになって、やたらプレゼンテーションに力を入れるようになる。資料に色を着けたり、ワープロでレイアウトに凝ったり、OHPに線を引いたり、いかにきれいに見せるかに苦心して、本来もっとクリエイティブであるべき会議の場が、資料披露の場になってる。目的と手段が逆転してしまうんですね。単一の価値観で動く集団には活力がない
大企業病のいろいろな症状は会社の風土をむしばんでいきます。その結果、最終のアウトプットである製品もよいものが出てこなくなります。
というのも、非活性の状態では、社員が守りの姿勢になって、上から言われたことはキチンとやるけど、チャレンジしたり独創的な発想をしなくなります。上の人間が、自分の考えでどんどん行動する人より、使いやすい人を評価するからです。「あいつは資料を上手にまとめてくる」なんて人が評価されてくる。そういう人はどんどん偉くなりますから、周りも「言われたことをちゃんとやってればいい」という価値観をもつようになって、そっちの方向に努力することになるわけです。
そうすると結局、製品開発なんかで言いますと、いろいろなアイデアや感じたことをぶつけ合って、新しいものを生み出すような活力が失われてきますから、どうしてもいいものができにくくなる。販売にしても同じです。当然、売上のほうにも結びつきますから、業績は悪化して、どんどん悪循環に陥ることになります。
また製品に何か問題点が発見された場合、どれだけ早く問題を解決できるか、あるいは、どう次の製品に反映するかが企業の力なんですが、それも対症療法的になってきて、根本的な品質向上よりも、事後処理や対策のほうに時間をかけるようになってきます。
そういったいろいろな現象が表れるようになれば、実際に経営の状況が以前に比べて悪くなってるとか、伸び率が止まったとか、数字は目に見えているはずですから、社員ももっと危機感をもつべきなのでしょうけど、これまで何度もそういう状況を切り抜けてきていますから、また少し環境が変わればよくなるんじゃないかと、安易な気持でいるわけです。
経営者が「今度はちょっと違う」ということを言っても、なかなか末端までは危機感が伝わらない。
そこで、たとえば私たちの活性化運動では、経理部長と課長の対話というのをやっています。経理部長の話なんて、ふつう現場の開発とか工場の人たちはなかなか聞けないものです。ですから、活性化に熱心な若手の課長たちが経理部長を招いて話を聞いて、もっと経営を身近に感じようという試みをやっているわけです。2 建前主義に陥るのは、会社風土の問題。
社員にとって部署は会社そのもの
そもそも建前にしても本音にしても、片方だけが100%の会社なんてないと思うんですね。でも、非活性的な状態をみると、建前7割、本音3割ぐらいの比率で、要するに本音が少ない。それを私は、本音7割、建前3割ぐらいの状態に逆転したいとよく言ってるんです。
もちろん人間社会だから、本音ばかりでぶつかったらうまくいかない部分もある。人によっては、やはり言葉を配慮しなければならないこともあるでしょう。だから建前の3割は潤滑剤みたいなもので、あとの7割が通用するような会社にしたい、と言ってるんです。
一般的には建前のほうが横行しやすいわけですけど、それは多分に会社の風土に起因しています。会社になんとなくある暗黙の規範がそうさせていることが多いんです。
どこか自由に発言しにくい、つい言動の影響を考えたり、遠慮したりしてしまうのは、その人の性格というより、むしろ環境がブレーキをかけてることが多いんですね。
逆もあって、いつも言いたいことを言い合ってるような雰囲気の会社なら、そこにいる人はやはり、のびのびとしています。部にしても、部長がざっくばらんなところは、なんとなく自由な風土ができています。
ですから、私はよく言うんですけど、会社は要するに、大きな池のようなものなんですね。で、当社のように従業員が1万8000人もいる会社、つまり大きな池は、大組織で部署の数も多くて、そのすべてを自由に泳ぎきるという人はまずいない。新入社員とかベテラン社員とかが毎日生活しているのは、その大きな池のほんの一部分にすぎないわけです。部分にはすぎないけれど、それが彼らにとってのいすゞ自動車、会社のすべてなんですね。
だから活性化というのは、組織構成でみれば部分にすぎないけど、同時に社員からみれば会社生活のすべてでもある“部署”というものの長が“自分の組織をいかによくするか”ということが原点なんです。最初から全体をよくしようなんてできないんですね。
全体には、ジェネラル・スタッフとかが大きな角度から方向性という網をかけますが、基本はあくまで、そこの長が自分の部門をよくするというような考え方でスタートするんです。部長のインクに部下が染まる
それだけ部署門長は、風土に深く関与しているということです。
たとえば、有名な理論に〈社員の行動は、環境とその人のパーソナリティの関数である〉というのがあります。
B=f(P・E)
B(ビヘイビア)・・・行動
P(パーソナリティ)・・・個性
E(エンバイロメント)・・・環境これは、行動と環境の関わりの深さを示すものです。
この場合の「環境」は、おおまかに言うと、一つは組織のストラクチャー、いわゆる「オーガニゼーション・ストラクチャー」です。それからもう一つは「規範」というもの。そこを支配している目に見えない空気で、無言のルールやタブーなども含まれます。
これらの組織的、人的な環境をよくすることは、関数ですから、社員の行動をよくすることにつながります。また、逆に社員が生産的でクリエイティブな行動をとるようになると、組織もよくなっていくというわけです。
そこでもう一つ、「ボスはビッグEである」という考え方があります。つまり、そこの部門の長は、環境そのものだという意味です。
先ほど、部署門長が風土に関わっていると申し上げたのはこのことなんです。
考えてみると、上の人がざっくばらんで明るい人だと、だいたいその部署あるいは会社は行動的で元気がいい。リーダーが太っ腹で明るくて、みんなを受け入れるようなら、風土も開放的になってくるんです。
ですから、私も身をもって感じているのですが、生産的でクリエイティブな社員であってほしいと思うなら、個人の能力開発だけをやっていても効果がない。必ず組織の環境を変えていかないと、行動はよくならないんです。
部長が自分の部を変えていくことを考えて、それがだんだん蓄積されたときに、会社全体が変わってくるんです。
社員だって、本来は職業人としての夢をもって、月分の仕事のなかで能力をフルに発揮したいと思っている。充実した楽しい会社生活をしたいと思っています。
でも、思いきって行動する前に、どこか自分でブレーキをかけてるところがあるんじゃないかと思うんです。
たとえば係長とかマネージャーがいろいろ考えて、何か社長にじかに提案したいと思ったとします。でも、なぜか行動となると、それは常識に反することだからと自分でブレーキをかけてしまう。職制があって、まずは自分の上司に言わなければいけない。飛び越えてやるのはいけないことだと決め込んでいます。
でも、ほんとうにそれが必要だと考えたのなら、秘書の方にお願いして行って話をするとか、ご自宅に手紙を送るとか方法はいろいろあります。それで行動した結果、上の人にとがめられても、私は仕事のために、あるいは会社のためにやりたいと思ったからやった。それでいいと思うんですね。
そうして行動することで、身のまわりの環境にもなんらかの変化が起こります。社員の行動力というエネルギーもまた、環境を変えていくんですね。
ですから、社員は前向きにどんどん行動する。会社はそれを許容していく。それが活力ある組織だと思います。
そして、そういう環境をつくるのもマネジメントなんです。3 トップダウンでは運動に魂が入らない。
管理の発想では「やらせ」になるだけ
活性化というのは、上から「やれ」と。号令をかけてもなかなかうまくいかないものです。
いすゞの場合もかつてはそうでしたが、ほとんど、どこの会社でも基本的には全社運動で、トップダウンでまず推進体制をつくって展開するというパターンが普通なんですね。まず手初めに「◯◯推進本部」とかを設置して、職制で落下傘式に落としていく。しかし、このやり方だと運動に魂が入りにくいため、形式的な「やらせ」になってしまうことが多いんです。ですから、当社のこのたびの活性化運動は、“会社が社員を活性化するのでなく、社員が会社を活性化する”という考えを基本にもって、@(全社運動に対して)部分展開方式でやる。
A推進室は作らない。
B「やらせ」の運動から「やる」運動にする。
という展開コンセプトで、開発部門の現場に重点をおいて進めています。
この活性化の目的は、最終的には“差別性のあるいい商品が出てくること”、つまり会社の業績をよくしようということに尽きます。だから、決して仲良し集団をつくろうというのではなく、あくまで仕事で情報が流れるようにするとか、協力しあうとか、アイデアをうんと出すとか、現場を自分たちの手で、仕事をしやすい環境に変えていくことが狙いなんです。
現場が主導権をもってやるというのは非常に重要なポイントです。
なぜなら、もっとも仕事のやり方や内容に具体性のある問題意識をもっているのは現場ですし、ありのままの生の情報もあります。
ですから実際の活動の主体は、現場にもっとも近い課長クラスで、しかもやる気のある人たちなんです。
これが、もし職制達で推進役を選んだら、結局、資料づくりがうまいとか報告をキチンとするとか、集団管理の発想での人選になってしまいます。本来、日常の現場の仕事をやりやすく改善していくのですから、その中心となる人は、現場で信頼されている人物であることが第一条件なんですね。
もちろん、そうもっていくためには、トップレベルでそれなりの見えない仕掛けが必要です。
会社というものには、誰とはなく長い間につくりあげてきた暗黙の規範や、目に見えない組織風土が色濃く漂っていて、少なからずみんな“おかしいな”と日頃から感じているのですが、にも関わらず、放っておくと、誰もそれを変えようとはしない。
やはり最初は上の人間が決断を下さなければならないんです。「社員を信頼する」という人間観が大切
トップは決断し方針は出しますが、しかし直接手を下さないのが我々の運動の原則です。
活性化は、既存の組織の枠や自分自身の考え方の枠をはずしながら、現場が問題を一つひとつ解きほぐしていくことから始まるわけですから、運動に命令系統は必要ないわけです。
もっと別の言い方をすれば、従来の上からの評価が価値をもたないといいますか、むしろタテの評価よりヨコの評価を重視して運動が進められていきます。
そういう意味で、先ほど課長クラスが中心になると言いましたが、いちばん活性化したい現場を握っているのは課長たちであって、情報をいちばん持っているのも彼らなんですね。
実際問題として、情報が正確に吸い上げられていませんし、トップには現場の実態はなかなかわからないものです。
たとえ、トップが部長に会社の問題点について尋ねても、部長が問題を把握できていないことが多いんです。ほとんど会社の実態がわかっていない。というのも、課長がほんとうのことを言わないで、みんなフィルターをかけて報告してる。そういう体質になってしまってるんですね。
つまり部長が漬物石のようになって、下をグッと圧して非活性化している面があるんです。だから、下からは本音というか、生の情報が伝わってこない。トップにも状況判断をするだけの情報が上がらないわけです。
そういう構造的な問題を考えると、職場の環境に大きな影響力をもつマネジメント層の活性化も並行して重要な解決事項になります。見方によっては、非活性化のマネジメントをするくらいなら、いないほうがましなんですから。
そこで大切なことなんですが、社員はみんな、それぞれが仕事に自分なりの夢をもって会社に入ってきているわけですね。どんな種類の仕事に就いても、本来は、ただ給料をもらうためだけに会社に来ているわけではない。自分を投影できるいい仕事をしたいと、みんな思ってるんですね。
だからそれを信じて、まず社員を信頼する姿勢が根本になければなりません。そして、基本にそういう人間観をもっていれば、社員につねに“チャンスを与えたい”という前向きのマネジメントが行なえるのではないかと思います。
ところが、しっかり管理しないと仕事に手抜きが出るかもしれないとか、逐一チェックを入れないと失敗するとか、気がつくと、不信に基づくマネジメントをしてたりすることが多いのではないでしょうか。
そうではなくて、社員を信頼する。そのうえで、部長は部長で、社長の方針を自分で具体化し、こういう方向でやりたいという目標を明確に打ち出していく。けれども、方向を示したら、あと細かいことは部下のアイデアや方法に任せておく。信頼をベースにしたそういう仕組みがうまく転がるようになれば、職場の空気に活気が生まれてきます。
この、いま言った基本的な人間観は、ほんとうに大事なことだと私は思っています。
ですから、もっとポジティブに積極的に、マネジメントに対する考え方をしっかりもつこと。そして、自分のマネジメント・スタイルを確立することが、活性的なマネジメントをすることに通じるのではないかと思います。4 情報はエネルギーのあるところに集まる
本音情報はリスキーだけど刺激がある
前にも言いましたように、わが社では、とくに悪い情報が流れないという状況がありました。
当然、本音で話ができない環境の中では、コミュニケーションに支障が出てきます。上に報告するとき、いい情報だけを上げていたのでは、上司は正しい状況判断ができませんから、決定が的はずれになったり、トラブルのもとになることもあります。
結局、組織の体質として建前のウェイトが大きい場合、情報もうまく流れないんですね。
そんな中で、とにかくトップの人は情報で判断する。上がってきた情報で物事を決断せざるを得ないわけです。
そうしますと、たとえば会議などでプレゼンテーションする人は、却下されることを嫌って、まず提案を通すことだけを目的にしますから、恐ろしいことですが、多少データも加工するようになっていきます。
加工というのは、結局、うまくいってない部分は伏せておいて、うまくいってる部分だけを事実として拾って、データの裏付けにするわけです。そして、それをもとにして、たとえば、ほんとは売れない要素だってあるのですが“これだけ投資すれば売れる”というようなストーリーをつくってしまう。そうやって、どんどんいろんなステージで提案を通していくわけです。
しかも結果が出るのは、たとえば自動車の場合は3年後ぐらいですから、結果が出るころには、その人はいないかもしれない。
ですから情報が流れない組織は、逆にいえば情報を操作しやすいわけで、結果、非常に無責任な状況が生まれる原因にもなります。
けれども、周囲からすれば「あの人は会議でちゃんと通してきてくれるから頼りになる」という評価になる。まことにおかしな現象になるわけです。
組織の中では少なからず自己防衛のための論理がまかり通りますから、ほんとうにおかしなことが真面目に行なわれるんですね。そこが組織の恐ろしさです。
そうすると、個人ではおかしいと思っていても、そのおかしなことが常識化しているわけですから、不本意であっても従わざるを得ない。疑問をはさむのはルール違反みたいな空気があって、新入社員なども、そういうやり方を見て、ああいうふうにすればいいんだなと学んで、組織に順応していくことになる。
おかしいといえば、社内報だってそうでした。ほんとうに官報みたいで面白くない社内報なんです。新聞に出た自社関連の記事をそのまま二番煎じしてみたり、当たりさわりのない結果だけが取り上げられていたり。
それはどうしてかというと、編集部がおもんばかるというのか、こういうことを書くと波風が立つかもしれないとか、いろんな立場とか人間関係とかを配慮して、情報が建前だけになってしまうんですね。だから読むほうは、ちっとも面白くない。
そうやって、自主規制のほうにばかりウエイトをかけるから、ますます本音が隠れていって、とうとう何も期待されなくなってしまうんです。
そんな反省もあって私たちは、ちょっとたいへんでしたけど、もっと現場の本音を拾って、情報のあり方に刺激を与えようと、「いすゞ新聞号外」として『本音座談会』という冊子を出したんです。
活性化は部分展開ですから、全社的にその思想が普及してない中での発行です。私も出席者もかなり勇気が要りましたけど、そのぶん反響も大きくて、硬直化した空気を破る一つの突破ロになったと今では思っています。フォーマルの場に生きた情報はない
最近、私たちは気づいたんですけど、本来、情報というのは、エネルギーのあるところに流れるんです。逆にいえば、組織でも個人でも、エネルギーがなければ情報は集まってこない。ちょうど電磁石のようなものなんですね。
そういう意味では、たとえば会議だとか通達だとか、形式的な場や手段では流れにくい。よく、通知書をどんどん出しておけば、それで情報が伝わっていると錯覚しがちですけど、それは単なる自己満足だけで、情報は、非活性的なフォーマルの場ではなかなか流れません。というのも、建前の場にはエネルギーがないからなんですね。
だから、情報に対する考え方、意識も変えていかなければならないと思うんです。
そもそも、ほんとうに欲しい情報は、待っていても向こうからはやって来ないものです。むしろ、情報はあるところにはあって、自分で必要ならどこにでも取りに行けるはずなんです。だから「自分から取りに行けば、いつでも取れるんだ」という姿勢をもつことが大事だと私は思います。
そして、「情報がとにかく欲しい」ということを絶えず周囲に呼びかけ、求めているということをアピールする。つねにアピールしていれば、その熱意が周りにも伝わって、それが情報を吸い寄せるパワーになります。私はいま、ほんとうにそれを実感しているところです。そう感じて、われわれは活性化運動の中で、情報に対する教育にも力を入れています
ところで、フォーマルな情報に対して、インフォーマルな情報というのは、立ち話に始まって、通勤の途中とか昼休みとか、あらたまって時間をつくらなくても十分交換できるものです。こういう本音がポロッと出るようなインフォーマルな場で、むしろ生きた情報が流れることが多いのです。ですから私たち活性化をしようと思っているメンバーは、情報共有の目的も兼ねて、インフォーマルの組織をいっぱい持っていますし、情報ネットワークもどんどん広げています。
そういうインフォーマルの場で生の情報交換をしながら、同時にそれを通じて、情報に対する姿勢とはどうあるべきかを、みんなで勉強してるんですね。
いい仕事をしたいと思うなら、絶対情報が必要です。
考えてみると、いい仕事をしている人というのは、絶えず情報の重要性を意識しながら、いろんな人とおつき合いをしています。そういう人は情報収集にも積極的だし、また、相手との信頼関係も大切にしてるんですね。
情報を得るには、絶えず働きかけることもそうですが、会社の中での信頼関係をどう培っているかも大事なポイントです。
よく「ちっとも情報を流してくれない」というような言葉を聞きますが、情報はもらうだけではなく、流してあげるのもエネルギーですから、まず「ギブ・アンド・テイク」が基本です。それから、こういうインフォーマルの場合は情報の扱い方にも配慮が必要で、それが信頼関係にも関わってきます。
情報に対する姿勢が大事と言いましたが、自分で取りに行く、流すというパワーと同時に、もう一つ、その人の情報の取り扱い方に対する信用が会社の中で定着していないと、吸引エネルギーも生まれてこないんですね。
| 本稿はM紀文の社内報に掲載されたものです。 |