教科書なき時代にミドルのあり方を問う
経営環境の変化が著しい時代において、企業の永続的成長を図る鍵は、経営の中枢を握るミドルの活性化にある。変化を認識しても、行動できずにいるミドル。創造性を発揮させ、最大限の能力を引き出す組織とはどのようなものだろうか。
<ミドルは疲弊しているのか>
寺本─あと6年で21世紀を迎えますが、この大転換期のなか、日本の企業システムが大きな変換を迫られて
います。特に最近、ミドルの不要論がマスコミなどで言われており、各企業は、組織を支えるミドルのあり方に大きな関心を持っています。そこで、本日は「自立するミドル─創造性を育む人と組織」というテーマでお話しいただきたいと思います。
最近のミドル不要論の理由としては、2つ考えられます。
1つは、団塊の世代の中高年化に伴うミドルの人員過剰という構造上の問題があります。会社組織はフラット型へ変わりつつあると言われていますが、実際、日本企業はまだまだピラミッド型が多く、組織を改革しないかぎり、従来通りの雇用では、人件費の高いミドルが雇用調整の対象になってしまうということです。2つ目は、ドラッカーの『ポスト資本主義社会』の中で言われているように、電子メールなどの情報化社会の進展に伴い、情報経路が短縮され、中間管理職の役割が不必要になってしまうということです。
現実に総務庁の労働力調査を見ると、平成4年には259万人いた管理職的職業従事者が、平成5年には246万人となり、一年間で13万人が減少しています。
このようなことから、いまミドルは疲弊しているのではないかと思われます。それは過労死に代表される肉体的疲弊ではなくて、心の面、精神的疲弊です。私はミドルが、アイデンティティー・クライシス(自らの存在意義を見失い不安定になること)に陥っているのではないかと考えています。今日はそのあたりから、ミドルのあり方を探っていきたいと思います。
北村さんは、いすゞ自動車に身を置きながら、自社の風土改革の中心的仕掛人であり、改革のシナリオライター兼演出家としてご活躍なさっておりますが、ミドルの現状についてはどのよう見ておられますか。北村─私は35年間サラリーマンをやってきましたので、高度経済成長の真っただ中にいてミドルを経験した
わけです。そこで感ずることは、これからの時代は今までのようなミドルではダメだろうということです。われわれの時代は終わりつつあり、次の世代にバトンタッチをする時期にいるものですから、残りのサラリーマン生活を企業の改革に携わっていこうと思ったわけです。
なぜ、このままではいけないのか。やはり経済状況が変化してきたことがあると思います。90年を境にして、それまで上り調子だったものが、大きな峠にさしかかり、今は横ばいの状態に入っている。そういう意味では、環境が大きく変わってしまったのに、ミドルは右肩上がりのときと少しも変わらず、意識改革も進んでいない。産業界全体が今までと同じ状況にあるかのようにミドルはある種のマインド・コントロールをされてしまっているのではないか、とさえ思います。
いちばん顕著な例が、私たちが勉強してきたTQCです。TQCというのは、右肩上がり成長のときには日本の産業界にうまく機能してきました。しかし、TQCというのは「効率化」のために人間の思考をパターン化していきます。例えば、TQC的にものを考えろ、QCストーリーで考えろ、7つ道具を使え、プレセンテーションは15分でやれという具合に、すべて型にはめているわけです。それにうまくはまった人が優秀なミドルだと考えられていた。しかし、それでは人間が部品化されてしまう。部品化されると効率はよくなりますが、創造性が失われてしまう。一生懸命にやればやるほど創造性が失われることになり、それがサラリーマンが疲弊している原因になっているのではないかと思います。〈ミドルの役割が変わる〉
寺本─では、過去7年間わたってさまざまな企業の経営者を含め、管理職の方々とゼミナールを主宰し、理論と実践の両面から組織研究をなさっている海老澤さんは、どうごらんになっていますか。
海老澤─ミドルというのは、上と下とのちょうど中間にいる人たちなわけで、そういうミドルが管理する対象
は、今までは主として「人」でした。したがって、自分より下にいる人たちが少なくなると、当然のことながらミドルは余ってくるわけです。
今、部下なしの管理職が増えています。彼らは対外的な名刺交換の場とか、営業をスムーズに進めるために、肩書をつけて管理職ふうにしていますが、そのような管理職は人を管理するという意味では管理職ではないわけです。そういう意味では、これまでのような管理職は要らなくなる。先程話が出ましたドラッカーは電子メディアを使う前から、上と下をくっつけてしまえと言っておりました。
ただ、管理の対象が「人」でいいのかという問題があります。私は管理の対象を、「人」以外の「経営資源」、つまり情報系や技術系など社会にあるさまざまな資源を取り込んできて、何が可能かを探索するようなことに変えるべきだと思っています。プロジェクトなどで人が必要になったら、その都度、適材を適所に連れてくればいいわけで、机に座っている部下の数で管理職の肩書の偉さを評価するようなピラミッド型の管理職は、これからは要らなくなると思います。必要なときにその都度、必要な資源を関係づける、いわゆるバーチャル・マネージャーのような形にして行けば、明るい世界が開かれてくるのではないかと思います。寺本─役職や肩書だけで勝負している人たちは、この価値逆転の時代には、存在意義がなくなることは明白だと思います。しかしミドルの持つ潜在的能力は本来高いのではないでしょうか。
なぜなら、イノベーションの源泉は「知恵」だと思うのですが、ミドルは「知恵」を生み出すための、体験から生まれる「経験」と情報から生まれる「知識」の両方を身に付けているからです。
ではなぜ、そういうミドルが会社の中で創造力を発揮できないのか。もしかしたら、過去の成功体験が足かせになっているとか、会社の掟に従わざるを得ないのかわかりませんが、疲弊の原因は決して年齢からくるものではないと思うのです。
今、ミドルの役割が変質してきているということについては、いかがですか。北村─ミドルというのは30代後半から40代の人たちを指し、ある程度の経験を積んだ人たちですが、1990年ころから、その役割が大きく変わってきていると思います。
今までは優秀なミドルというのは、問題が発生したら、部下を使ってそれをきちんと解決する、要するに問題処理能力の優れた人であったわけです。ところが、今のように市場の変化が激しい状況の中では、何が問題かを見つけだし、メンバーに方向性を示していく役割のほうが必要になってきているわけです。ですから、管理者というよりは、リーダーシップを持った人ということですね。
企業は集団で仕事をしていますが、集団には必ずリーターが必要です。集団のリーダーになる人は、ある程度の経験がある人、つまりミドルということになる。ところが、ミドルは従来の延長線上にいて、単なる管理者であったり、情報伝達係であったりする。それでは、これからは生き残れないでしょう。大事なことは、時の変化を理解し、意識転換できるかどうかです。〈肩書で人は集まらない〉
寺本─私はコンサルティングの現場でミドルの方にお会いする機会が多く、よく「あなたの役割は何ですか」とお伺いするのてすが、「とにかく自部門の現在与えられている目標を達成することです」と発言なさる方が多いですね。会社全体の目標や使命までは、なかなか展開していかない。働くことの意味が伝わってこないのです。そういう意識が全くないというわけではないと思うのですが・・。
確かに、現在のように大きく環境が変化している中では意識改革が求められると思います。リーダーシップということになると、本来その人が持っている個性からくるパワーのウエートが高くなると思います。現実に、肩書だけでは情報も人も集まらない。
そこで、管理者とリーターシップの関係についてはいかがですか。海老澤─最近、『ホロン革命』とか『機械の中の幽霊』という訳本が出ていますが、『機械の中の幽霊』の中にアジテーターの話が出てきます。音が共鳴するように、アジテーターが声を大にして問題を提起すると、それに呼応してみんなで解決策を考えていく。それは管理職という職位でやるのではなくて、問題を見い出した人がリーダーになるという、フレキシブルなリーダーシップです。
問題創造や問題発見といった行動は、固定的な管理者がやるのではなくて、気のついた人が管理者に呼びかけてもいいし、自分がリーダーになってもいい。つまり、固定的な職位をもった人たちが固定的役割の中では認知し得ないような問題があちこちで発生しているので、現場サイドで気がついた人かアジテートするわけです。
もう1つは、昔から管理論の世界で言われていることですが、理想はリーダーイコール管理職です。そして、その最悪のケースが、管理職でありながらリーダーシップか発揮できない場合です。しかし、「あの管理職とは一緒にやっていかれない」という部下が増えてくると、肩書だけで生きている管理職はだんだん座り心地が悪くなり、たぶんリーダーシップを失っていくでしょう。そうなると非常に苦しくなると思います。
ですから、全員が何らかのかたちでリーダーシップをとれる仕組みを考えるといいですね。リーダーシップやパワーなどのパーソナリティで勝負できるようにすると、たぶんダイナミックな雰囲気が会社の中に植えつけれてくると思います。
そういうことを上層部に理解させるのは難しいと思いますが、小さなところから少しずつ進めていくと、何か動きが出てくるのではないでしょうか。また、そういうふうに自分自身を高めていく努力をしていかなければいけないと思います。寺本─管理職も、従来のようなガンバリズムだけでは通用しない時代になってきていますね。ただ、ミドルは現場に近いということ、それに複数いるわけですから、1人ではできないようなことでもやれるのではないか。そういう意味では、経営者や一般社員とは違う行動ができるのではないかと思います。
〈創造性は仕事の中から生まれる〉
寺本─今は効率性を追及する時代から創造性の時代になっているというお話がありました。創造性にも個人と集団の問題がありますが、集団の創造性については、どう考えたらよいでしょうか。
海老澤─研究会等で議論している創造性の概念と、それを集団の中でどう生かすか、この2つについてお話ししてみたいと思います。
まず創造性の概念ですが、つい最近まで私は、創造性を発揮できるのは特定の人に限られるのではないかと思っていました。大多数の人には創造性はなく、追随していくしか方法はない。したがって、創造者は1人でいいと思っていました。
ところが、クリエイティビティという言葉には、だんだん量的に増えていくという意味があるんですね。音楽のクレッシェンドや、三日月が満月に変化していく状態のように量的増加を通して質的に変わっていくという意味が含まれていることがわかったんです。そうなると、私のような凡人でも創造に参加できるのではないかという明るい話になってくるわけです。アメリカの経営学会が経営者向けに出している『アカデミー・オブ・マネジメント・エグゼクティブ』という雑誌の中に「創造性の現実と神話」というタイトルの論文がありまして、今申し上げたようなことが載っておりました。
企業の中の創造性は、日常の仕事の中から生まれてくると判断していいわけで、だれもがアイデア発信機のような機能をもっているということになる。1人が1ヵ月に1回、あるいは1週間に1回、ぐらいはアイディアを出せるはずなのです。
この本では創造性を3つに分けています。1つは「新奇性を伴う創造性」です。無から有を生ずるようなもので、何十年に1回ぐらいしかない創造性です。2つ目は「合成による創造性」で、既存のAとBをくっつけて新しいものをつくっていく。3つ目は既存のものを改めていく「改善」です。これは、いすゞ自動車さんでも、どの企業でも行われているもので、修正という概念です。
マクロの創造には、狭い意味の新奇的創造と、合成と修正を含めた広い創造があります。ですから、どのへんの創造を志向するかをもう一度社内で議論すれば、小さな改善が大きな創造につながっていくこともありうるわけです。
もう1つは、それを集団の中でどう生かすかということです。私が大学の教員になりたてで、「日本的経営」がはなやかな頃、企業はこぞって、集団主義や終身雇用、一蓮托生、全員一致、一枚岩など、ワンセット方式の議論をしていました。決まったことをみんなで実行すれば短い時間で大きな成果が出るというので、すばらしい経営手法だと言われておりました。
これについてアメリカで議論をしたことかありますが、当時から向こうの研究者は、そんな日本的経営を冷ややかに見ていて、そんなにみんなが一緒に動いてどうするんだと、言われたことがあります。今は、彼らが批判していた、その日本的経営あり方が問われているわけです。
もし、われわれが集団の中で生きていかなければいけないとすると、昔の日本的経営で志向されたような集団主義ではなくて、新しい集団主義の中でどう「個」を生かしていくかを議論しなくてはいけない。例えば、モザイクのように色や形の違った「個」がぶつかり合うと何ができるかを考えていく。そうすると、1つの絵の中で自分はどのパートを演ずるかということになる。それが「個」をぶつけ合った新しい集団主義ですね。寺本─「新奇性」・「合成」・「改善」という3つの創造性についてお話しいただきましたが、ほかに創造性を考える上でのキーワードはありますか。
海老澤─「統合」があります。「統合」は第3の道の発見ですから、修正でも合成でもあり得ますね。例えば、北村さんが知っていて、寺本さんと私が知らないことは、北村さんにとっては古くても、ほかの2人にとっては新しいことです。新規事業もそうだと思います。その会社にとっては創造的な新規事業であっても、ほかの会社はそれを創造と言わないかもしれない。それでもいいのです。
自分たちにとって新しいこと、改善のテーマが見つかれば、それを創造といっていい。それを周りと連動させていくことにより、さらに高いレベルの創造に結びつけていくことができるのではないかと思います。〈だれでも創造力を発揮できる〉
寺本─多くの企業は、パワーを持った経営者や、一部のエリート社員といわれるスタッフのもとで動いているように見られがちですが、そのような一部の人間に創造性の発揮を一元的・他律的に期待するよりは、凡人集団の相互作用から何らかの創造性につながるきっかけをつかむことのほうが、世代を超えた組織全体の行動のあり方を考えたとき、有効であるということですね。
先程の3つののレベルのうち革新的な創造性を考えると、思いつきやひらめきといった突然・偶然の出来事といった誤解を持ってしまいがちですが、創造のためには、深く広い知識・基本的な努力の積み重ねが、やはり必要なのではないでしょうか。その上に、突然・偶然があると思うのですが。海老澤─今は偏差値社会で、子供のころからエリートとノンエリートに仕分けされています。本来ならば、生まれ育っていく過程のなかで、学習を通して何かを身につけていくことが期待できるのですが、「お前は偏差値が低いからこういう仕事に就け」、「偏差値が高いからいい大学に入っていい企業に入れ」という具合に、子供のころから仕分けされている。これは非常に危険な社会現象ではないかと思います。
そういう人たちが企業に入ってきて、創造性までが先天的な資質だと思い込んでいる。性格や顔つきは親から受け継いでいるとしても、創造性はそうあってはいけない。畑を耕していけば収穫ができるはずだと考えて、一人ひとりができる範囲内で少しずつ創造性を育てていく。そうすれば自分自身を変えながら、会社に対して何らかの貢献をしていくことは可能ではないか。
決してあきらめてはいけない。10代で人生が決まってしまってはたまらないですよ。寺本─そのためには異質性との遭遇が必要ですね。例えば、私などは海老澤さんや北村さんのお話をお聞きしていると、自分とは全く異質のお話が出てくるので、それが刺激となって新しい考えが生まれてくるといったことがあります。そういう異質性を吹き込むような仕掛けが組織にも必要なのではないでしようか。
「意識改革の手法」をいすゞ自動車の風土改革に見る
ミドル・アップ・アンド・ダウンで上層部から下は現場まで巻き込んだいすゞ自動車の「風土改革」。自由参加を原則に、誰もが取り組める雰囲気をミドルがつくった。まずは個人の意識改革が必要と、心の中まで共有できるシステムにしている。
〈下からの「風土改革」〉
寺本─いすゞ自動車で取り組まれている風土改革は、その手法がユニークであり、新しい活性化運動と、マスコミ等で取り上げられています。ここで北村さんから、その風土改革に取り組まれた経緯、その中でのミドルの役割等について、お話ししていただきたいと思います。
北村─当社が取り組んでいる風土改革の原点は、社員の意識を変えるというものです。集団は「個」の集合体ですから、一人ひとりの意識が変わる必要があるわけです。その積み重ねによって部分が変わり、さらには全体が変わるということなので、まず「個」にアプローチをするわけです。
私どもの会社は資産をある程度持っていましたから、儲からないときは土地や株を売るなどしてある程度の給料水準は維持してきたと思っています。また、いすゞ工科大学と言われるはど優秀な技術者がいて、みんなそれぞれに好きなものをつくっていたんです。ところが、4年ほど前に大赤字になって、会社倒産の瀬戸際に立ったわけです。経営陣の交代があり、これではいけないとみんな真剣になりました。よその会社ではやったことがないようなことをやらないと、大企業病の末期症状からは抜け出せないということで、方法論を創造的に開発したわけです。
体質改善をするとき、従来は社長から常務に言うわけです。「なんとかして会社の体質を変えられないものか」と。すると常務が体質改革推進本部長になり、人事部長を事務局長にするなどして、現場に「意識改革の計画を出せ」と指令を出します。しかし、みんなやった振りをする。サラリーマンはやった振りをするのが実にうまいんですよ(笑)。そんな具合だから、実態は少しも変わらない。ほとんどの会社がそういう状況です。
しかし、当社の場合は、あくまで現場が主役で、必要性を感じた人たちがやる運動ですから、本社はそういう人たちの応援団事務局のような格好になるわけです。また、多くの場合、改革というと全社一斉にやりますが、私どもでは、開発だけとか、生産だけというように、部分展開をしています。それに、やりたい人がやるというように、今までの常識とは全く違う方法でやっているんです。
応援団事務局長は私がやっております。私は窓際部長で部下は一人もおりません。そういう人が推進の旗振りをやっている。要するに、力でやらせるのではなく、現場がやることを助けるという役割なわけです。
私どもでは、「三位一体の改革」という構想を立て、改革に取り組んでいます。まず、三角形の一辺に「戦略の改革」を据えています。戦略などと難しく言っておりますが、要は経営資源をどこに配分するか、今までの配分でよかったのかどうかを考えて再配分をするわけでナ。当社では乗用車に多くの資源を配分していたのですが、円高で乗用車の採算が取れなくなったので、その資源をほかに持っていきました。普通、これをリストラクチャリングというんですね。
寺本─本当の意味でのリストラクチャリングですね。
〈一人ひとりの意識改革が土台〉
北村─三角形のもう一つの辺は「リエンジニアリング」です。会社というのは総合力で仕事を進めます。例えば車を開発するには4〜6年かかるわけです。構想を立てて設計をし、試作車をつくり、実験をする。そして、大量生産をして、お客様に届けるます。
ところが今は、それではお客様のニーズに合わなくなってしまう。それほど市場の変化が激しい。だから、開発のプロセス、仕事の仕組み等をすべて変えていかなくてはいけない。これをリエンジニアリングと言うわけですが、「リ」というのはすべて組み換えるという意味なんですね。
三角形の下の辺は「意識改革」(リマインデイング)です。リストラとかリエンジニアリングといっても、会社組織を構成する社員がやった振りをしたり、つじつま合わせをしていては、いいものはできない。だから三角形の底辺にくるものには大きな意味があるわけです。企業風土は農業で言えば土壌に当たります。会社の土壌は、社員一人ひとりの意識の集合体です。この意識を変えることをリマインディングと言っているわけです。会社に入るとこういうふうにしたらうまくやれる、こうしたら村八分にされない、こうすれば上から評価されるということを、私たちは上司や先輩からたたき込まれる。つまり、長年の間にその会社で通用する常識をマインドセットされてしまうわけです。
ところが、世の中が変わってしまい、上から言われたことをやっているだけでは駄目になった。上にどんどん提案をしたり、時には上に噛みついていくぐらいの社員が、これからは求められるようになる。だから、マインドを組み換えていかなくてはいけない。
私どもは、特にリマインディングに力を入れています。この点がユニークで面白いと関心を持たれているのでしょう。寺本─今、お話にあった「常識」ということをよく考えてみる必要がありますね。よく議論のなかで常識という言葉が見え隠れするのですが、それはその会社の常識であって、本当にその基準が正しいかどうかわかりません。既存の価値基準や前提自体を疑う、あるいは前提自体を議論の対象として議論する。そのようなことから取り組まないと、なかなか本質までいけない。「常識やぶりを常識にする」といったん意識転換には、相当なパワーが必要なりますが、そのためには主体性・自発性が求められます。つまり、やりたい人がやるということが。
北村─そうです。やりたい人が改革をやるわけです。「改善」と「改革」という似たような言葉があります。「改善」は過去の延長線上で、より良くしていくという視点です。一方の「改革」は、過去に先輩たちが築いたものをぶち壊し、そのうえに新たなものを構築するわけですから、必ずしもみんなが仲良くというわけにはいかない。過去にそれをつくり、それを守ってきた人たちとの間に多少ギクシャクするものがあるわけです。社員の中には、そういうことを好んでやれる人と、サラリーマンなのであまり事を構えたくないという人がいます。私たちは「262の法則」と言っていますが、2割で改革できる人、6割はその2割にくっついて行く人、あとの2割はそっぽを向いている人で、このバランスがとれている会社がうまく転がっていくわけです。よく言われている大企業病というのは、改革する2割がいなくなり沈滞してしまった状況なわけです。だかし私たちは、ミドルの中からその2割の人たちを一生懸命に探し出し、動機づけをしながら進めてきたわけです。
〈改革運動はやりたい人がやる〉
寺本─先程、海老澤さんから創造のきっかけとして一人ひとりができる範囲からというお話がありましたが、この改革運動も水面下から始まったということですか。
北村─そうです。改革を上から命じられて仕事としてやると、あまりエネルギーが出ないんですね。なんとかしなければいけないという内発したエネルギーを持つ人に手を挙げてもらい、そういう人にやってもらうのがいちばんいいわけです。
会社というのは新しく組織をつくり、そのポストにはあいつがいいと、人事異動で勝手に人を据えますね。据えられた人は、その仕事が成功すれば上に上がれるので、その仕事を達成することが目標になるわけです。改革そのものは、社員がやるわけですが、例えば改革推進部長は、自分が偉くなるために社員に改革をやらせる。そういう構図になっているわけです。
大衆運動というのは、本当は言い出しっぺをリーダーとして組織化するのが一番うまくいくんです。ですから、社内募集などで、「こういうジョブをやりたい人はいませんか」と呼び掛ければ適材適所に人が集まり、理想に近いかたちになっていくと思います。〈カベを突破し風穴をあける〉
寺本─問題意識を持っている2割の人たちも、いざ行動を起こすと、本当にこんなことをやっていいのだろうかと、大きなカベに突き当たるような気がします。そこを北村さんは、一つずつ突破して動かしてきたと思うんですが、そういうカベはどうしたら超えられるのでしょうか。
海老澤─私も大学という組織の中に生きていますが、自分にとっては高いと思っていたカベも、少し斜めから見たらそれほど高くはなかったとか、ジャンプしてみたら低いところにあった、上から見ればもっと高いカベがあるのでそれほどではないという具合に、客観化することだと思います。
つまり、自分の想いとかこだわりでスタートしますから、最初は主観なわけですね。その主観を客観化することによって説得力が出てきます。そこで親衛隊をつくり、仲間として巻き込むことができるわけです。
もう一つは、よりマクロの分析視点を持つことです。自分が問題意識として取り上げていることは、自分の部署だけのことではなく、会社の将来を意識してのものだ、このまま行くとこういうことが起こり得る可能性があるから、今のうちに手を下さなくてはいけない、とアピールすることですね。それを何回やっても駄目なら、説得の仕方やターゲットの絞り方に問題があるわけですから、方法を変えていく。そうしていくと、たぶん1年か2年の間に必ずどこかに風穴が開くはずです。だいたい途中で挫折してしまうのですが、そこを根気よくやっていく。
要するに、より高いところから全体を意識する。そして、客観化していくということではないかと思います。〈心の中まで共有する場をつくる〉
寺本─いすゞ自動車の100人委員会における内容を拝見すると、かなり私的な活動が展開されているような印象を持ちます。
一般的には、公的・私的をはっきり使い分けるといった、既成概念があるようですが、本質的なところまで議論をするのであれば、その常識を覆してみることも一つだと思います。
もともと一つの人格で私と公を使い分けることに無理があるのではないかと感じてきているのですが、そのへんはどのような工夫をされているんですか。北村─今は、会社は会社、家庭は家庭という時代です。それは大変結構なことだと思いますが、会社にいるということは、同じ目的を持った集団の中にいるということでしょう。ですから、人間的な触れ合いもないというのは、少し寂しい気がします。
普通、会議を開く場合は決まった議題があって、それについてだけをメンバーで話し合いをするわけですね。ところが、100人委員会には決まった議題はないんです。その都度、みんなで問題意識を出し合うんですね。そうすると、お客さんから怒られたとか、上司にこんなことで叱られた、やりたいと思っていたことができなかった、という話がたくさん出てくるわけです。
そうしたドロドロした部分は氷山の一角なんです。氷山として海面に出ているのは全体の1割で、9割は水の中に隠れているわけでしょう。それと同じで、会社の会議などは水面から出ている部分だけで話をしているわけですね。しかし、水面下にある見えないところ、人間の心の中にあるものまで共有できると、お互いに共感できるんです。だから、できるだけそういう場をつくっていく。
会社というのは効果を求める集団で、費用対効果という考え方から会議では必ずアウトプットをしなければいけないという常識があります。ところが、自動車にハンドルの遊びが必要なように、組織にも遊びが必要なんです。1泊2日ぐらいでどこかに行き同じ釜の飯を食って議論すると、みんな会社のことを考えるようになる。日ごろ問題として浮かび上がっていないようなこと、つまり水面下にあることが問題として浮かび上がってくるわけです。同じ会社の中でカベをつくっているのはバカバカしいことだ、もっと協力したいという気持ちを、みんな本音として持っているわけです。ですから、そういう方向に変えていく。そうしていると組織のカベがなくなってくるんですね。〈ミドル・アップ・アンド・ダウンの効用〉
寺本─いすゞ自動車の風土改革は自然発生的にスタートして、試行錯誤で進んでいるように受けとめられます。事前に目標を決めて、スケジュールに落とし込み、アウトプットのシナリオを考えるといった運動ではないのでしょうね。
北村─そうですね。よく自主性が大事だと言いますが、自主性という名前を騙ったやらせが多いので、あくまでも自主性を重んじた仕組みを作らないといけないと思っているわけです。
そのきっかけをつくったのはミドルです。やはりミドル・アップ・アンド・ダウンということで、経営の中枢に近いところにいる人でないと、こういう動きをつくることはできないと思います。ミドル・アップ・アンド・ダウンで、上は社長まで巻き込み、現場は第一線まで巻き込みました。海老澤─たぶん不満がくすぶっていたんでしょうね。だけどそれを吸い上げるチャネルもないし、そんなことを言うとつぶされてしまう。だから体を張ってやらなくてはいけないのですが、妻子がいて、いつクビになっても構わないと覚悟を決めるのは、一般の企業では非常に難しいと思います。しかし、一度火がつくと飛び火して野火が山全体を焼くことになる。初めは私的な勉強会ですが、それが組織の旧来のカベをを崩してく。いすゞの風土改革はそのいい例ですね。
北村─そうですね。
海老澤─つまりは、上からの命令ではないということです。現場のくすぶりのもって行き場がない。平社員は言えないから、ミドルがみんなを巻き込もうと重役室のドアを開けて直談判をした。「私たちがやります」と言うと、「やってみろ」となり、上も公式にそれを認めた。
非公式な、私的な力というのは、日本では昔から結構強いんですね。飲み屋などで内々に不満を話しているから、公式な運動にならないだけのことです。いすゞ自動車はそれを突破したわけです。寺本─くすぶっていたものの吐け口をつくり、社長も巻き込むことで、社内の活性化につながったわけですね。
〈創造性は語らいから生まれる〉
海老澤─北村さんは、語らいの場をつくり、テーマはみんなで決めると言われました。普通、企業組織には利益を上げるという明確な目的があるわけですね。ところが、北村さんは目的がないと言われました。語り合うことから何かが生まれてくるかもしれないということでした。
それはある意味ではゆとりであり、無駄であり、冗長性であるということで、赤字の会社でそれをやるのは大変なことです。普通は「どんどん働け」ですよね。それを許せるのは、大したものだと思います。
ローティの『哲学と自然の鏡』という大著がありますが、その中でアメリカ人の彼は「対話」と「会話」の違いを論じています。日本語でいう対話と会話の違いは、「対話」はシナリオが決まっていて、落としどころが決まっている。要するに、目的が明示されている。
「会話」は、共に生きるという意味のコンベルサーレというラテン語からきています。共に生き生きとした話をすることが会話で、相手の言葉を受けてそれに応ずる、それが発展していくわけです。ローティは、そういう会話によって語らいが生まれ、語らいから創造性が生まれると言っています。逆に、シナリオのあるところからは何も生まれない。
「とにかく集まって何をやるかみんで考えようじゃないか」というのが会話です。これまで日本では管理職も平社員も、365日すべて会社中心で動いていた。アフターファイブも会社中心、ウィークエンドも会社中心で、私生活はいつも犠牲になってきた。ところが最近の若者は会社と私生活をはっきりと分けようとしている。しかも中心となるのは私生活で、会社では言われたことだけをやっていればいいという層が出てきて、ミドルも部下の扱いに困るという状況になるわけです。
昔の会社中心もよくないし、今の若者の私生活中心もよくない。理想は公私が一体化することです。「公」が「私」に影響を与え、「私」が「公」に影響を与える相互関係ですね。
私的な運動が公的な会社組織に影響を与えるという、いすゞ自動車の状況は非常によくわかります。そういう意味では、二分法的に公私をはっきり分けていたのが、今は一体化してきている。
知恵を出し合える組織づくりはこうありたい
これからのミドルには情報の共有化は欠かせない。それには人との信頼関係、緊密なネットワークが大切になってくる。
「異質」を組織活性化のエネルギーとするためにも、いろいろな人との付き合いが必要。「知恵」を出し合える組織が望まれる。〈いろいろな人と付き合い意識改革を〉
寺本─さてそれでは、これからのミドル、そして広く「個」はどのように行動するべきなのでしょうか。
北村─会社以外の人と付き合うことも大事ですが、会社の中の人間と本当のコミュニケーションができているかどうかが大事ではないでしょうか。会社の中にも魅力的な人はいます。そういう人たちと日ごろ見えない姿を見せ合いながら付き合う。なるべく自分が携わっている仕事とは別の仕事をしている人と付き合う。それができてから、あるいは同時並行でもいいのですが、社外の人と付き合う。
意識改革をするのにいちばん有効な方法は、自分と違った世界の人と付き合うことです。外国へ行くとか、外国のビジネスマンと付き合う。あるいは同窓会にもどんどん出ていったほうがいい。なるべく小学校や中学校の同窓会のほうがいいと思います。そのほうが、主婦もいるし、八百屋のおやじもいるし、不動産屋のおやじもいるかもしれない。そういういろんな人たちと付き合うことです。
そういうことをやってみてしみじみ思うのですが、いすゞ自動車という会社にいるのはタコつぼに入っているようなものです。いすゞ自動車というタコつぼの中でさらに塹壕を掘り、みんな一緒に白旗を持って入りこんでいるような人たちもまだまだいます。
今はグローバリゼーションの時代です。私たちもそういう側面から意識改革を支援するという意味で、企業間交流をやっています。私どもには、販売店があり、グループの中にはいろいろな人がいます。豊洲にある東京いすゞのサービス工場に、うちの現場の人たちが行って、交流をするわけです。すると、いすゞの車のこういうところに問題があるといった話が、サービス工場から情報として入るわけです。工場の人たちは日ごろから、「豊洲の工場に行ったらこういう話をしていた」ということを共有しておくわけです。
だからといってすぐに製品を直すわけではないんです。そんなことをすると組織が破壊されてしまいます。何か問題があったらサービス工場から東京いすゞの本社に報告される。本社はそれを集約して、メーカーのいすゞの営業に伝える。営業は品証を上げ、品証から工場の品管に行く 。すると、品管から製造部に行き、製造部から現場に下りていくというわけで、これが公式のルートなわけです。
もちろん、自分たちでやれる改良はドンドン進めています。工場の人は、製品改良の場合は上から言われたことをやっていればよかったのですが、今は非公式の交流があるので、「いよいよあの問題がきた」と納得し、主体性をもって直そうという動きになる。そういうこともやりながら意識改革をしているわけです。
別の話ですが、1つの会社を100ぐらいの組織に分社化をしている会社がありますが、そこはマルチジョブといって一人の人間が何でもやる方式を採っています。その会社の人と付き合うと自分たちの会社は役所だなあとつくづく思います。その会社は今は中堅企業ですが、やがては大企業になるかもしれない。彼からみれば大企業のいすゞに興味があるので、わが社にも来てくれるし、お互いに交流できるわけです。そういうかたちで積極的に企業間交流をやっています。〈「異質性」こそ活性化のエネルギー〉
寺本─異質のものと触れ合うと、最初は拒絶反応を示します。あの会社だから、あの人がいるからできるのであり、うちではできないと。そうではなくて、いったんすべてを受けとめて、そのなかで考えてみるというプロセスを吹き込むことが必要とされるのでしょう。
北村─あそことうちとは業態が違う、というのが従来の考え方です。それはできない理由を見つけているようなもので、それではいけない。違う人と付き合うと、必すプラスになるものがあるはずですから、そういう姿勢で見に行く。そうするのと、最初から役に立たないと思って行くのでは、大きな違いです。自発性が大事ですから、私どもでは会社の指示、命令ではやらない。あくまで出入り自由、自由参加を原則にしている。そうしないと、命令された人は格好をつけなくてはならなくなるでしょう。
寺本─違いがあるからこそエネルギーが出てくる。同質のものの中から創造は生まれない。実際、組織には多くの矛盾が発生しているわけで、その矛盾こそが組織のエネルギーの源となっているのでしょうね。
北村─そうですね。会社でも女子社員がいるからいいんですね。最近、問題になっているのは、一流大学出身者はなかなか制約条件を壊せないということがあります。彼らはある枠内で問題解決することは非常に得意です。最近、いすゞ工専卒の取締役が誕生しました。その人は枠組みなど考えない。枠をぶち壊そうとしたり、周りからひんしゅくを買うようなことを言ったり、行動したりするわけです。すると異質なものがきたというので、波風が立ちざわめいてくる。すると新たなものが生まれる。あるいはギクシャクする。しかし、ギクシャクすることはいいことだという価値観を、少しずつですが、みんなが持ち始めています。
先程、私は効率ではなく創造だと言ましたが、効率も大事なことで、効率性と創造性を同時に求める時代になったと思っています。寺本─創造性と効率性のゴールデンバランスの追求ですね。
北村─そうですね。会社には、緩める(ルース)部分と、締める(タイト)部分があるわけです。ルースとタイトは両極端です。一般的に会社はその中心にあるんですが、いすゞ自動車は両方を持っています。厳しくすべきところはものすごく厳しい。重役になり一年で成果が上がらないと、退任するケースもあります。
だけど一方でルースな部分もあります。私のようなブラブラ社員がいたり、費用と効果の関係がはっきりしない活動も認めています。
いすゞ自動車では、今までは、上の人の言うことに忠実な社員がいい社員だというようなところがありました。だから、上の人に反発したりすると、つまはじきにされることがよくあった。だからこそ、大企業病にかかってしまったのです。それはよくないということで、自主性を持ち、自分の意思で動く人を求め始めました。タイトだけの世界からはそういう人は生まれないだろうと思います。「自由」にやらせる部分があって初めて、そういう人が生まれてくる。この「自由」にかけている時間的コストは全体の0.1%、年間2000時間として1人当たり2時間くらいのものです。〈異質が自分を変え、相手をも変える〉
寺本─個が生きるためのキーワードとして、「自由」というコンセプトが出ましたが、これはどう考えたらよいのでしょうか。
海老澤─責任を伴う自由です。自分の職能とか役割を設計するとき、上司から言われてやるのではなくて、自分の仕事が全体の流れの中でどういう位置づけにあるかを自ら考える。そのとき、自分だけがエリートになろうとか、自分だけが所得をたくさん得ようと考えるのは不自由な自由です。全体と連動しながら何が可能かを考える。そういう自由が重要になってくるのではないか。
フォレットはすでに1930年代に、『自由と調査』という本の中でそういうことを言っています。
フォレットは自分とは違う考えを持つ人との出会い、あるいは違う情報を取り込むことによって、違う自分を創造していくことだと言っています。相手も変わり自分も変わったときに新しいアイデアが生まれる。これが統合という概念ですが、自由がないと統合は生まれない。それはある意味では責任を伴う自由なのです。
生き物はある限界の中で生きているので、周りと調整しながら自由を展開しているわけです。私は学会の研究部会で毎回、生き物について勉強をしていますが、魚の博士が来られたとき、人間は究極の高等動物であると言われていた。つまり、人間の細胞や体内の各器官は限りなく単純化し、それぞれ役割をもって働いているが、他の内臓と緊密にコミュニケーションを図っているということでした。
それを聞きながら、これだと思ったんです。会社においても、営業マンも経理マンも守衛さんも、それぞれ会社全体とコミュニケーションを図りながら仕事をしている。だから高等動物なんですね。さらに人間の場合は、一定の器官とかパーツで一生収まる必要はないわけです。そういう意味で、自分自身を変えながら、全体との兼ね合いで何かを意識していくことができるのではないかと思います。
こういうことをぜひミドルを中心にしてやってもらいたい。自分から情報を発信していけば、新しい自分を創造していくことができるのではないかと思っています。寺本─例えば、胃袋の役割を務めてきたミドルが、来年からは目玉の役割をやりたいと思ったとき、簡単に組織は受け入れてくれるのでしょうか。
海老澤─変えられない会社は辞めて、自分が目玉になれる会社に行けばいいわけです。自分の意思で会社に入ったわけですから、自分の意思で辞めることもできるんです。頭になりたいのなら、頭としてのノウハウがなくてはいけない。しかし、ほかのパーツなら、私はこんなスキルがあるのでトライさせてくれと言えるでしょう。それを許さないような会社ならいる必要はないですね。日本でも実際にそういう動きが出てきているし、ダイナミックに動いています。
寺本─会社も最近はシナリオを用意していますね。例えば、専門職制度、ジョイントベンチャー、プロジェクトチーム、社内起業家等です。結局、組織の豊かさと楽しさの基準は、どのくらい多くの選択の幅を持ち、多様性を許容しているかということですね。
海老澤─会社が懐の深いお母さんなら、子供のわがままを聞いてくれるでしょう。そういう人事・労務であり、人間開発部隊であり、人的資源開発部隊であるべきです。
私の同期で商社に入った人がいます。彼は入社と同時に砂糖部門に配属され、定年間近になってもまだ砂糖部門にいます。優秀な人材で期待されて入ったはずですが、手を挙げても移れない。そういう会社は決して健康体ではないですね。〈「情報の共有」が絶対条件〉
海老澤─会社には部長がたくさんいて、部長同士が縄張り争いをしています。本来は、積極的にコミュニケーションをして、情報がオーブンに行き交うようにしなくてはいけないのですが、絶対に情報交換をしない。それは生き物として不健全です。
そういうところにベンチャーとかハブレスカンパニーが入って、おいしい汁を吸い取っています。彼らは環境情報を集めて、それを大企業の部長のところにもっていくわけです。部長は問題を抱えていても、情報を共有していないので、欲しい情報が集まらない。社内に優秀な人はいるのですが、それができない。だから、そういうところに入り込んで仕事がもらえるわけです。
それはミドルについても言えることだと思います。自分の城を守りだしたら、大企業の部長と同じことになる。それをどこかで打ち破り、お互いに持っているノウハウや知識を共有すれば、知恵につながっていくのではないかと思います。寺本─そのためには、情報はギブ・アンド・テイクではなくギブ・アンド・ギブンで発信していけば、自ずと情報が入ってくる。そういう姿勢が必要だと思うのですが。
北村─ギブ・アンド・テイクというのは、100の情報を出せば100の情報が入ってくるという期待感があるわけですが、キブ・アンド・ギブンという考え方でやると、相手に多くを期待しませんから、100対30でも成立するでしょう。
私たちは、いすゞの風土改革に関心を持っていただいている人たちに100人委員会の情報誌を送っていますが、そのうちの3割の人が、先方から情報を送ってくれます。そういうかたちで情報のネットワークが広がっているわけです。
先程、海老澤さんからとても身につまされるお話がありました。いすゞのある部門の例ですが、自分のところの仕事をしっかりやればいいと思っていて、隣の部門でやっていることがおかしく見えても、人さまがやっていることだからと放っておく。なぜ、そうするかというと、自分がやっている仕事が完全ではないからです。相手におかしいと言うと、いつか自分が攻撃されるかもしれないと思うからです。同じ会社で仕事をしている仲間ではないか、オレのところは不完全だけど、気付いたことはどんどん言うから、逆に気付いたことがあったらどんどん言ってくれ、そういう兄弟のような価値観を企業の中に持ち込めば、部門間のカベは破れると思います。海老澤─日本でも戦後、アメリカから経営管理の仕組みを教わり、勝ち負けゲームには慣れています。敵対味方という開係で勝ち負けを決めるのは、ライバル同士でも、上司と部下の関係でも、会社同士でも同じです。いったん勝つと、次は負けるという恐怖にかられるわけです。負けたほうはチクショウと思うので、必ず仕返しがある。それを回避するためには外とのリンクを図るわけです。外にいる人たちはそんな敵対関係はないので、いろいろな情報を入れてくれる。電話一本で来てくれるし、酒を飲みに連れて行ってもくれる。しかしそれは会社の外に活路を求めているにすぎない。そうではなくて、北村さんがおっしゃったのはウイン・ウイン・ゲーム(どちらも勝つ関係)です。人体には雑菌が入っています。雑菌がいないと人間は死んでしまいます。それと同じで会社の中にも嫌なやつがいたり、性格的に合わない人がいて当然です。そういう人たちと助け合おうと大きなスパンの感覚を持っていると、絶対に殺し合いはしない。
そういうことを意識して議論するわけです。例えば、嫌いなやつでも、いいことを言っているときは褒めてあげる。すると彼はニヤッと笑い、褒めた人との関係が回復されると思うかもしれない。そういうことを何回か重ねていくと、相手もこちらが言ったことを支持してくれるかもしれない。そうなれば管理者として正当な論理で議論ができるようになる。なかなか難しいことですが、そういう勇気を持つことにより、ウイン・ウイン・ゲームが展開できるのではないかと思います。〈「信頼関係」と「ネットワーク」〉
北村─これからは「財産」に対する考え方が変わり、人との信頼関係、ネットワークが財産になる時代がくると思います。つまりよい仕事をするためには質のよい情報が必要です。社内外の情報、本当に必要な情報は新聞を読んでいるだけでは集まらない。情報は人間を通じて入ってくるんですね。そのためには人との信頼関係をつくっておくことです。
海老澤─生きている情報といういは、信頼関係をベースにして成り立っています。パソコン通信は公私の別なくネットが張られているので、会社や企業常識にこだわる人や、伝統的な管理者タイプの人にはだんだん情報が入らなくなる。死んだ情報や形骸化した情報しか入ってこなくなってしまう。
情報というのは、海外出張したときの面白い話とか、地方の安い飲み屋情報のようなものでも、入ってくることが重要なんです。人間的魅力があれば、情報は自然に流れてきます。
疲弊しているミドルからは、生きている情報は逃げていきます。なぜなら肩書で威張っているからです。自然に情報が集まるような人間性や個性を、特にこれからの管理職はもたないといけない。この前、あの部長からおいしい土産物の情報をもらったから、何かあげようと日ごろから意識していれば、部長の欲しがっている情報は何かすぐわかります。そのようにお互いのコミュニケーションを図るわけです。
そういう情報交換が今は直属の上司とは無関係に飛び交っている。パソコン通信でやれるので、周りからは全くわからない。それでいつのまにか直属の上司が裸の王様になっているわけです。リーダーシップをもたない中間管理職は、そういうことになりやすい。リーダーシップをもつ中間管理職はリーダーシップが前面に出ますから、自然に情報が集まってくる。集まる背景にはもう一つ、困った問題を解決してくれる、自分が気がつかない問題を知らせてくれるなどというところで人間関係が展開されてきます。寺本─創造性を育むには組織のあり方が関係すると思いますが、その点についてはいかがですか。
北村─「組織」と「個」の関係は、「個」より「組織」のほうが大きいという不等式と、「個」のほうが「組織」より大きいという不等式、それに等式の、三つの考え方があります。ほとんどのサラリーマンは、「個」より「組織」のほうが大きい。つまり、「個」は「組織」の部分であるという考え方を持っていると思います。そこで私は、「組織」は手段であるから、やりたいことをはっきりさせて、組織を活用していくことだと言っています。私は、これからは組織に対してオーナーシップを持つ人が出てくると思うんです。
マズローの自己実現という考え方があります。「組織は個人の自己実現を社会実現に変えるための変速機である」というものです。個人では大きなことはできないから、自分の想いを組織を活用して実現する。つまり、組織に対してオーナーシップを持つ人が増えてくると、その会社では創造性が生まれやすくなるということです。そういう人は組織に埋没せずに、組織に対して強くて大きな細胞になっている。自分がやりたいことを実現するために、いろいろな人を巻き込む。そうすると組織が活性化され、何かが生み出される。そういう組織の理想形を描いているわけです。
その点については、いすゞの社長とは価値観が一致しています。過去のいすゞでは、出る杭は打たれました。そこで、私が出過ぎた杭になって実験台になったわけです。だから雑誌などに論文を書いたり、社内でも言いたいことはキチンと言っています。しかしそれでもあの人はクビにならないという見本を見せていますから、周囲は自分たちもどんどんやっていいんだということになるわけです。〈「知恵」を出し合える組織〉
海老澤─ここで文化の話とつなげ、学会の研究部会の調査結果をお話しさせていただきます。これはいすゞさんにもご協力いただいたのですが、ランダムに集めたサンプルで、マネジメントを中心にした個人のあり方を論じています。個人の創造力を「個創」と置き換え、それをグループでディスカッションしますから、協働の創造力、「協創」に発展させ、協創の次はジャンプして変化する創造、「変創」というかたちにしています。調査結果は、「個創」とか「協創」のレベルでは、みなさん問題意識を持っていて、自分自身の行き方や、会社に対する貢献度についてきちんとした考え方を持っています。しかし、「協創」から「変創」に転ずるときに、ほとんどがコケている。それは会社のほうに、仕掛けとか仕組みが用意されていないからです。用意されているところでは、文化が邪魔をする。文化は組織の人間関係です。風土も文化も十分でない組織では、異常値を排除して正常値のみのオーソドックスな論理でいきますから、当然活性化は実現しない。
もしわれわれがそういう会社にいて、「協創」まではうまくいったけれども、「変創」に転ずるところがうまくいかないときはどうするか。それには、北村さんが言われたように水面下で同じ問題意識を持つ連中と、21世紀を見据えて私的な勉強会をすることです。そこで現実とのギャップの大きさを論理的に押さえて、公の場を使いながら、経営側にフィードバックしていく。
そうすると、たぶん耳を傾けてくれる取締役とか部長が出てくるはずです。自分の上司が駄目なら他の部の上司に手を回す、社外の連中と連携をとって外かLら攻める、お得意さまを攻めるなど、方法はいろいろあります。開けようとすれば、必ず扉は開くはずだという論法で展開していくことが、文化を変化させる一つのきっかけになる。部分から全体を変えていくような逞しさがこれからのミドルの大きな役割になるのではないかという気がします。寺本─組織としてはどうですか。
海老澤─同じ情報、同じ価値観の人たちが何十人何百人集まっても、それは一人で意思決定したのと同じです。これから組織に期待されることは、違う性格とか違う考え方、異質な情報をもち込む人たちとチームを組むことです。そこでの情報を公私の別なくデータベース化する。変わったことを言ったらインデックスを付けて登録しておき、5年先に問題にぶち当たったら、あいつはこんなことを言っていたなとデータベースで検索をする。つまりプロセスまで議事録にとるわけです。
今日の話も情報であり知識ですが、データベースに入れておくと、いつかそれが知恵に変わるときがある。お互いに知恵を出し合うことで共振します。知恵をくみ取るのは情報管理部長でも総務でも人事でもいいんですが、それを100人委員会に組み込んでおく。北村さんの下には全国に何百人もの親衛隊がいるわけですから、彼に頼めば彼のお客さんを通して車を売ってくれるかもしれない。
そういうかたちで自分の仕事を創造していく。それは知恵の交換を通して初めて生まれてくるわけです。知恵の出し合える会社なり組織がいいと、私は思っています。寺本─それが組織の醍醐味なのでしょうね。今後、会社は知恵の競争といっても過言ではないでしょう。
北村─そういうことができる仕組みをつくろうと研究しているところです。社内の会議というのは形式的なものが多いんです。その対極にあるのが飲み会で、そこでは本音で会社のことを話しているのですが、すべて雲散霧消してしまう。こそでその中間の「場」が必要なわけです。そういう場を会社の中に仕込んでおくと日ごろ水面下にあるものが水面上に出てきて共有できるし、そういうことがあることにみんなが気づく。それが知恵化して、公的な意思決定が加われば実行されるというものです。
〈目指せネットワーキング・マネジヤー〉
海老澤─神戸が大震災にあう前のことですが、神戸製鉄で、ある情報を発信した人のおかげでプロジェクトが起き、その戦略課題が実行に移されて成功したことがあります。従来は最終的に成果を上げた人が脚光を浴びるのですが、そのきっかけとなる情報を提供した人が人事考課の対象になりました。神鋼はトリガー(引き金)情報を発信した人を評価しているわけです。
その場合のご褒美の出し方はいろいろあります。その人のノウハウや知識レベルを知恵に昇華させるにふさわしいポジションにつけるとか、海外の駐在員にするとか。
いずれにせよ、そういう問題提起やきっかけとなる行動が今は問われていると思うんです。寺本─最後に、一言ずつ今後のミドルのためのコンセプトを提起して下さい。
北村─私が話したことは、決して特異なことではなく、普遍的なものです。これからの時代を先取りしたやり方をしているのであり、過去の教科書にはないけれども、多くの企業にとって有効性があると思っています。それはいろいろな企業の人と話をしていると実感できます。
ミドルにとってマネジメントは非常に大事であり、これからはマネジメントの中身が変わると思います。従来はスーパーバイザー(監督者)といって、指示命令を出し、結果をチェックするかたちでしたが、これからアメリカでも日本でも志向されるのは、エンパワーメント(自主・自立・権限委譲)だと思います。
エンパワーメントというのは、人間はいろいろなことをやりたい、やる力を持っているという前提に立ったやり方で、そういうマネジメントが志向されてくると思います。エンパワーメントによるマネジメントの中身は、指示命令、管理監督ではなくて、サポート(支援)だと思います。海老澤─私は、ミドルはネットワーキング・マネジャーを志向したらどうかと思います。ネットワーキングは経営資源の一つになり得るわけですから、社内社外を問わずビジネスを創出し、そのビジネスに必要な資源をネットワーキングを通して集めてくる。外部から集めた場合には、それが刺激になって社内に何らかの影響を及ぼす。社内で集められるのならそれにこしたことはない。人集めもお金も技術もそうですが、情報系の役割が重要な機能を果たすのではないか。
そういう意味では、ヒューマン・コミュニケーションを含めて、ネットワーキングの張り方が大きく問われてくるのではないかという気がします。
これからはそれが地球的規模で動くので、国境も企業の枠組みも超えたバーチャルな環境設備に自分のアンテナをもっている管理者が必要であり、そういう資質がミドルに要求されてくるのではないでしょうか。部下からの報告を待って上司に伝達するだけではなくて、自ら情報を発信してネットワーキングを積極的に展開するミドルですね。寺本─教科書のない時代、どうあるべきか答えはなく、私も含めてミドルが示さなければならないのは、精神の自立であり、私たち一人ひとりの内なる革命こそ最も求められていることなのでしょう。
本日は、たいへん参考になるお話を伺いました。どうもありがとうございました。(完)