いま、企業の生死は「改革」にかかっている
もはや「改善」では手に負えない。「改革」に向けて大きく舵をきろう

一人でもできるちょっとした工夫や改善から部署を超えた大きな改善まで、企業に巣くう「習慣病」の処方箋を見てきた。しかし、これらはあくまでも技術的な解決策、いわば対症療法にすきない。また、部署の「習慣病」が、実は「大企業病」の数ある症状の一つであることも多い。これらを現場の創意工夫だけで解決することは、不可能に近い。
たとえばファイリングがやつかいなら、究極の解決法は資料や書類そのものをなくすこと。決裁にまつわる手続きの煩雑さを解消するためには、思い切った権限移譲で決済事項そのものを減らすことが必要である。これらは個別に対処するのではなく、企業体質すべてをひっくるめた根本的な治療でなければ意味がない。コクヨの事例に見るように、これはもはや「改善」の域を超えた「改革」。似て非なるこの二つのそれぞれの意味について、「風土改革」の提唱者である北村三郎さんに語っていただいた。

大企業病の兆候は「改革」が必要な状態

会社は「日常業務」と「改善」、そして「改革」によって成り立っているといえます。いちばん大切なのは、いうまでもなく日常業務。すべての会社がこれで支えられています。
しかし、それだけでは進歩がないので、つねに業務を見直し、不都合があれば改善を行います。
改善は誰でもできるし、誰もがやらなければならない。
社員一人ひとりが、仕事に工夫を加えていくことで会社に貢献し、自分の職業能力を高める……それは働く人間として当たり前のことで、会社とは本来そういうものです。改善と改革の間に明確な線を引くことはむずかしいのですが、あえていうなら、改善とはそれまでの仕組みや考え方の延長線上にあって、さらによい方法を見つけること。改革とは、先達が築いてきたものをいったんオールクリアして、新たな制度や仕組みに構築し直すこと、といえるでしょう。ですから、改善は誰にでもできますが、改革はトップの大胆な価値観の転換と、強力なりーダーシップによって行われます。いまの時代に求められるのは、改善よりも、むしろ改革でしょう。しかも早急に手を打たなければならない。
たとえば、右肩上がりの成長期に身についた企業体質ですが、経済の成長や市場の拡大を前提に構築されたさまざまな制度や仕組みが、いまでは次々と制度疲労を起こしています。これらを抱え込んだまま放置された状態が、いわゆる「大企業病」。会社に次のような症状が目立つようなら、要注意です。
(1)やたらに資料を作る (2)会議が形式的になる (3)悪い情報が流れない (4)部署の利益を守り、組織の壁ができる (5)仕事の仕方がマンネリでチャレンジしなくなる。
自分の会社を客観的にながめて、心当たりがないかどうか、よく考えてみてください。あったらそれは、大企業病の兆候。治療には「改善」のレベルを超えた、根本的な「改革」が必要な状態です。

中堅、中小企業にも大企業病が

大企業病についての厳密な定義づけはここでは省きますが、代表的な症状としては、組織の活力の低下が挙げられます。しかもこの病気は、企業規模や業種に関係なく発症し、中堅・中小規模の企業にも拡散しています。それには二つの理由があります。
一つは、「大きいことはいいことだ」というノリだった右肩上がりの時代、優れた経営のサンプルは大企業にあったわけです。だから大企業を見習って、規則や仕組み、組織などを整備した小規模企業が多くありました。しかし、それでよかった時代は過ぎて、大企業病だけが残ってしまったのがいまの状態です。
二つめの理由は、中堅・中小企業の多くが大企業の下請けや子会社であること。その場合、元請けや親会社である大企業から来た役員や社長が、大企業的な仕事の仕方を持ち込んでくるわけです。会議を増やしたり、そのための資料を大量に作ったり、細かいことにも報告書を提出させたり・・…・。極端ないい方をすれば、従業員が数百人の会社なのに、数千人規模の会社と同じシステムを作ろうとしていたわけです。ウイルスを持ち込むようなもので、これでは大企業病に冒されないほうがおかしい。
いまは大企業もどんどん分社化し、「大」から「中」への脱皮をはかっている時代。中堅・中小企業はフットワークのよさを生かして、いち早く本来の姿に戻るチャンスなのですが、なかなかそうはなっていない。
中堅・中小企業の大企業病をひときわ深刻にしているのは、自分を中小企業だと思っていないことからくる症状に対する鈍感さ、問題意識の欠如です。また、大企業なら業績が振るわなければ社長の交代という方針転換のきっかけがありますが、中堅以下、とくに創業者一族による経営が一般的な中小企業では、それもむずかしい。大企業病から抜け出すための企業改革は、経営者の意識の転換から始まるのですが……。

これからの企業は中央集権から自立分散へ

大企業病が過去の延長線上にあるならば、思い切った改革でそれを断ち切るのが企業の生き残る道。
私は、企業改革は三つの視点からアプローチしなければならないと思っています。
(1)戦略の改革(リストラクチュアリング) (2)仕組みの改革(リエンジニアリング) (3)社員の意識・行動の改革(リマインディング)
(1)と(2)についてはどこの企業でもある程度行われていますが、問題は(3)。これは、いってみれば企業の体質改革、企業風土や企業文化の改革です。まったく別の価値観に基づいて組織を再構築しなければ生き残れないんだという意識を、トップ以下全社員が持つことです。改革の成否はこれにかかっている、といっていい。
つまり、中央の経営陣が軍隊のように組織を動かすのは、市場というパイが拡大し続けていて「量」を追求する時代に力を発揮した手法。
サラリーマンも「和をもって尊しとなす」ということで、隊列を乱さない、上司の指示に従順なマニュアル型の人材がもてはやされました。
しかしいまは「質」の時代。自分の頭で考え、判断する社員をたくさん抱えた企業、そして異質な、個性ある人材がぶつかり合って新しいものを創造していく企業が生き残っていく時代です。そのために、組織を「中央集権型」から「自立分散型」へ転換していくわけですが、これには組織の組み替えだけではなく、全社的な意識改革が必要なのです。
また、自立分散型を確立するには、会社内の規制緩和を避けて通れません。つまり権限の委譲ですね。稟議書にいくつもハンコを集めるのは、自分で責任を取ることが怖いからで、それは中央集権時代のやり方。権限と責任はなるべく分散して、どんどん現場で考え、ミドルが判断する、あるいは部長が責任を持って判断することです。
ときには失敗することもあるでしょうが、自立あるいは自律とは、自分で自分の責任を引き受けられるということ。社員一人ひとりがそうなることです。しかし、失敗したら二度と浮かび上がれないような企業文化では、それは無理。
だからトップの意識改革がより重要なんです。

いまこそ問われる管理部門の力と社員教育

総務、人事や社長室、企画室でも、企業の管理部門は経営の参謀役として存在感を示す必要があるでしょう。経営トップに近いところにいるのだから、時代の変化をいち早く察知し、会社をどう変えていくか明確なイメージを持って経営を動かさなければならない。
たとえば、自立分散型にふさわしい評価制度を提案するとか、改革に何けた「面舵いっぱい」の方向転換を宣言するようなメッセージを作って、社長に表明してもらうとか、方法はいくらでもあります。ただし、提案しっぱなしで責任を社長に押しつけるのではなく、当事者意識を持って取り組まないと、大企業病は克服できません。自立分散を提案する張本人が、中央集権型の手法にしがみついているようでは、改革になりませんから。
一方、全般的に社員教育への投資が削減されていますが、企業がスリム化を目指し、社員個々の自立が求められる時代に、これは自殺行為だと思います。企業はやはり人。たとえば、五億円の機械を購人するときは、それに見合った生産量を見込んで投資します。しかし、人は違う。同じ年収1000万円でも、5000万円分働く人もいれば、500万円分しか働かない人もいる。機械とは違います。だからこそ、人は大事に育てなければならない資産なのです。
教育投資といっても、単にお金をかければいいというものではありません。社長自身が教育に乗り出すのも、一つの方法です。いままでの流れを変えるんだ、という教育をするためには、自分で世の中の流れをつかまなければならないし、勉強もしなければならない。教えることは学ぶことでもあります。社員教育をとおして、社長自らの価値観も問われるでしょう。
改革とは、そもそも少数派が仕掛けるものです。「大多数が教育投資を削減しているから自分も・・」では、改革をやろうという意気込みが感じられません。いまこそ新しい価的観に基づいた社員教育で、意識改革をはかる努力が必要なのではないでしょうか。

サラリーマンも意識を変えて改革の時代を生き抜こう

一方、サラリーマンは、長い間、協調性が重んじられ、ほかの社員と歩調を合わせて上の指示に従うことを求められてきました。ちょっとおかしいなと思ってもロに出さず、大勢に流されてさえいれば安全だったわけです。だから、あるポストを与えられればそれに全力を尽くしますが、会社の中でほんとうにやりたいものがなかなか見つけられない。ある程度のキャリアを積むまで、たとえば四五歳くらいまではそれでいい。しかしその後、「あと何年」と定年までの引き算をするよりは、自分がほんとうに会社でやりたいことを見つけて、取り組んでみるべきではないでしょうか。
「自分はこれで会社に頁献できる、だからこの仕事をさせてほしい」とアピールすればいいんです。横並びを重視する会社なら、特殊な人間、突出した人間といわれるかもしれません。しかし、自分が貢献できると自信を持っていえる仕事につくことは、適材適所という観点からすると、会社にとっても大きなメリットがあるはず。そういう制度がなければ、自分で建白書を提出するくらいの気概があってもいい。一回でダメなら二回、三回、と。それが自分を生かす道であり、ひいては会社が生きる道でもあるのです。
知恵を出して改善を行うことで、確かに会社に貢献することはできます。しかし、現在いわれている改善は、世の中が右肩上がりの、ダンゴ集団、護送船団方式で業績が上がった時代のもの。改善を無限に続けることが、そのまま収益につながることすらありました。
ですから、経営方針を変えずに、もっといい方法を見つけようという改善活動が奨励されたのは当然です。確かに、それは誰でも参加できるし、やってみればおもしろい。創意工夫を凝らすことは、自分の能力を磨くことにもなります。しかしいまは、トップもサラリーマンも未曾有の改革に向けて、大きく舵をきるべき時代です。
改革が一段落して、新しい仕組みに移行したら、また改善の余地は出てきます。「浜の真砂は尽きるとも……」ではありませんが、会社に改善のタネが尽きることはありません。そのときは、再び改善に取り組みましょう。(談)

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