出会いを分ち合う
私は高度成長の時代、35年の間、サラリーマンをしていました。ですから企業戦士の生残りというところです。サラリーマン時代に10年間、社員教育の仕事をしたことがあります。
社員教育の目的は会社の活動に役に立つ社員を育てることです。その中身は仕事に必要な職業能力、また経営管理者にとってはマネジメント能力などを教育することです。
そのような仕事をしているうちに、職業能力やマネジメント能力を云々する前に基礎能力の教育が必要なのではないか、ということを考えるようになりました。基礎能力の教育というと新入社員の教育を思い浮かべますが、30歳代、40歳代の会社員にも基礎能力の欠けている人たちがいるのです。会社員の基礎能力とは、次のようなものです。
1 仕事観、組織観、社会観、人生観、倫理観など、自分自身の価値観をしっかり持っていることです。例えば「仕事の目的」「組織の目的」などがわかっていて「仕事は収入のためであると同時に自分の能力を伸ばしたり社会に貢献すること」「組織にとって利益になることでも社会の利益に反することはしない」などのことです。
2 自分のためだけではなく社会のために働くという志を持っていることです。
3 生き方において尊敬される人間性を備えていることです。
例えば整理整頓の習慣が身についている、準備・実行・後始末のプロセスをきちんと踏んでいる、挨拶がきちんとできる、などのことです。
上記の基礎能力の欠如は受験競争を勝ち抜いてきた偏差値エリートの人たちにその傾向が多く見られます。
井口先生の考え方でいえば、基礎能力は「生きる力」、職業能力、マネジメント能力は「生きる技術」ということになるのでしょうか。
私自身、上記のような基礎能力が足りないまま、職業能力、マネジメント能力の修得に努力をしてきました。上役の期待に応えるために、提示された目先の目標を要領よくこなしてきました。50歳を過ぎた頃、あるプロジェクトを担当したときに大きな壁にぶつかりました。その頃、このまま定年になったら何も残らない、そして悔いが残る人生になるのではないか、と思いました。それからいろいろ工夫しながら自己変身にチャレンジしたのです。
そのような体験から井口先生の「ジュニア成人」「シニア成人」という考え方にはとても納得しています。
井口先生の考え方によれば、「シニア成人」は実社会で自分を見失わず、志を遂げながら自己発見の道を歩む人であり、「ジュニア成人」はわかってはいるが要領よく生きている人のことをいうようです。
私も50歳を過ぎてからの「ジュニア成人」から「シニア成人」へと転向したので、その違いがよくわかります。
「シニア成人」になると60歳の定年について、次のような実感を持つことができるようです。
「定年は野球でいえば6回の裏、ラッキーセブンは定年後」、「定年は競馬でいえば第4コーナーを回ったところ、ゴールはだいぶ先」ということです。
20歳までに心の発達段階に応じた教育を受けられた環境にあった人は幸せです。
そのような環境に恵まれずモラトリアムの状態にある「ジュニア成人」はどのようなきっかけを得て、そしてどのような方法で「シニア成人」に変わっていったらいいのでしょうか。
私の体験では、そのきっかけと変身の方法を掴むことができるのは「志の高い人」に出会うことです。
そして「志の高い人」が目指そうとしている活動の現場を訪れ、その活動を体験をして五感で感じることです。
「志の高い人」とは例えば「ヒトの教育」に紹介されているローカルステーションを運営している人たちのことです。「志の高い人」は少数で、マスコミなどで紹介されることは少ないようです。
私の現在のテーマは「志の高い人」が運営するローカルステーションを見つけて訪問、ホームページなどで紹介することです。今までにもいくつかの事例を紹介してきました。このようなテーマは井口先生の行動を見習っているうちに見つけました。
私が今、いちばん心がけているのは、志の高い人と出会う、そしてその出会いを同志と分ち合うことです。
「ヒトの教育」創刊1号に掲載(平成18年5月1日発行)
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