「志(私)塾のすすめ」
―日本の変革の担い手を育てるべく立ち上がった有志たち―

 草の根で、日本を変革するチェンジエージェントを育成する。そんな理想に向かって今年9月、志塾を名乗る私塾がスタートした。この私塾の設立趣旨に共鳴した人々が全国各地から集った。彼らはやがて全国各地に散って、下からの変革を芽吹かせるために、さまざまな取り組みを行おうと決意した有志たちである。

日本は未曾有の国難にある

「理念や志が欠落しているのは経営者ばかりではありません。政治家にしても、官僚にしても、利権や保身にばかり心を奪われ、日本の将来を心から憂いている人物はほとんどいない状況です。小泉首相のやった改革にしても、『改革もどきを多少やっている』というのが私の率直な印象です。どうして1,000兆円を超える天文学的な借金があるという事実を、国民に明確に示すことをせず、具体的な策を講じないのでしょうか」
 第二海援隊という出版社の社長であり、著名なジャーナリストとしても知られる浅井隆氏が、2006年9月、私塾である「志塾」をスタートさせた。
それは冒頭の言葉でもわかるように、いま日本国に襲いかかってきている未曾有の国難、その危機意識から彼は私塾を立ち上げることを思い立った。さらに彼は言う。
「私たちの『祖国』であるこの日本がこのまま没落していくのを黙って放っておいてよいのでしょうか。もはや誰かが勇気を持って旗を立てなければならない時期にきています。そういう強い危機感から、私は日本を変革し、再生するために『再生日本21』を05年7月に設立しました」
 「再生日本21」の最大の目的は「将来の日本を担う人材を育成すること」だと語る。そして「もっとはっきり言えば、第二の坂本竜馬や西郷隆盛のような人物を多数輩出すること」だと言う。
 浅井氏は元毎日新聞社の写真記者である。世界を股に多くのスクープ写真をものにして活躍をしていたが、ある時、思うところがあって新聞社を辞め、94年に経済ジャーナリストとして独立をする。その時、設立したのが第二海援隊である。江戸の末期土佐の郷士坂本竜馬が組織した貿易商社海援隊にあやかったものであることは言うまでもない。
 今回、その海援隊とは別に、株式会社「再生日本21」を立ち上げ、人材育成に乗り出した。「再生日本21」では、その目的のためにシンクタンクやITを使ったインターネット新聞なども構想に持っているが、まず一足先にスタートさせたのが私塾である「志塾」だった。

私塾にこそ真の教育が

 それにしても、なぜ私塾なのであろうか。
「私塾ですべきことは何なのでしょうか。それは“本当の教育”です。本当の教育というのは一方的に教えてもらうのではなくて、お互いに切磋琢磨し、人間性を高めていくことができる共同作業のことです。私は現在の公教育にこうしたことを期待するのは難しいと思います。公教育は『知識を教える場』だからです。今本当に必要なのは人間の根底、根源にある、人間の生き様や哲学、本来の志、マナーなどを教える場です」
 浅井氏は公教育からは、人材は育たないと言い切る。江戸幕府は学問所として昌平黌を持っていたが、そこから変革を起こすような人材はあまり出ていない。むしろ、人材が生まれたのは松下村塾や大阪の適塾、薩摩の郷中教育などの私塾からである。

下から社会を変えていく

 浅井氏の志塾構想にはパートナーがいる。長らくいすゞ自動車の教育畑を歩き、風土改革を手掛けてきた北村三郎氏である。サラリーマン時代には、その一徹さからしばしば上司と衝突、左遷や窓際生活を味わってきた。退職後は「人と情報の研究所」を設立し、コンサルタントとしていろいろな企業の企業内私塾活動、風土改革、人材教育などに携わってきた。
 浅井氏と北村氏との間で、1年以上も前から志塾構想の準備を進め、浅井塾長、北村塾頭の体制で06年9月、そのスタートを切ったわけである。
 その北村氏が言う。
「私は長い間企業で風土改革を手掛けてきたが、そのやり方は上から経営が変えていくのではなく、下から、現場から会社を変えていくやり方だった。社会を変えていくにしても、永田町や霞ヶ関の政治家、官僚に頼るのではなくて、民の力でもって社会を変える。この志塾で期待しているのも、参加者がそれぞれ地域に戻って変革の一灯を灯して欲しいということです。一灯照隅、万灯照国ですね」
 もちろん第二の坂本竜馬や西郷隆盛がすぐにつくれるわけではない。志塾があちこちでネットワークされ地道な活動続いていけば、20年後、30年後に日本の変革が生まれ、その延長線上に坂本竜馬や西郷隆盛のような変革を担う人材が生まれてくるというのが北村氏の考えでもある。

早朝の掃除実習にも参加

 では志塾は具体的にどのような内容で、どのような特色をもった塾なのだろうか。
 スケジュールは全6カ月間。1泊2日で毎月2日間の講義が基本となっている。
 既に第1期がスタートしていて、9月20〜21日にかけて行われた。スケジュールについては、単なる座学だけでなく、現場体験、地方文化探訪などもプログラムの中に含まれている。
 さしあたり10月の勉強会では、鍵山秀三郎氏(イエローハット相談役)が会長を務める「日本を美しくする会」と一緒になり、早朝の新宿歌舞伎町清掃活動に参加する。
「志は教室の中だけでは生まれにくい。志を持った人と出会い、触れ合いを持つことによって感化を受ける。地方などにはその志を持った人がいる。そのような人との出会いをつくっていきたい」(北村氏)
 鍵山氏はそのような志を持った人だと言う。若い時代から人の心の荒みを少しでも和らげようと、毎日会社はもちろん周囲の掃除を始めた。周囲から冷笑されてもそれを続けた人物だ。20年、30年経つと周囲がそれに共鳴を始め、今やそのトイレ掃除の活動は日本はおろか世界にまで広がっている。暴走族の非行も変えた。まさに「一灯照隅、万灯照国」を身を以って示した好例である。
 そのような「日本を美しくする会」や松下政経塾との提携も考えているという。

志(私)塾のネットワークを

 坂本竜馬や西郷隆盛の育成は、遠い将来の目標だが、志塾が当面の目標としているものに3つある。@が塾長を育てること、Aが志塾の中身と方法を進化させること、Bが塾長(地域)ネットワークをつくること――である。
 前にも述べたが、志塾で学んだ者がそれを地域に持ち帰り、私塾を起こす。その私塾に学んだ者がまた自分で私塾を起こす。つまり親塾、子塾、孫塾の志のネットワークをつくっていく。それも浅井氏たちの目標とすることの一つである。
 浅井氏は著書『志塾のススメ』(第二海援隊)の中でこう書いている。
「“私塾”を一人ひとりが各地につくり、そこで“教わり議論し、教える”場をつくって一人ひとりに“志”を持たせ、その運動を広げ支える力を持つようになった時、まさにそれは“志塾”の目指すかたちとして結実していくことになるのでしょう」
 既に9月から第1期の塾が開講し、15人が塾生となった。その顔ぶれはまことに多彩である。元中央官庁のキャリアで行政改革がやりたくてコンサルタントになった人もいる。コメディアンになることを夢見て現在吉本興業で修行中の人もいる。『志塾のススメ』に啓発されて参加した現役の高校生や県庁勤めの地方公務員、子ども英語塾の経営者、農協の幹部職員。浄土真宗のお坊さん等々、多彩で賑やかな顔ぶれが揃ってスタートした。
 初回は、まず浅井塾長の講演、北村塾頭指導による「自分を語る」という科目が組まれた。「自分を語る」といっても、格好のよい自分を語るのではなく、格好の悪い自分をさらけ出す「自己開示実習」である。挫折、失敗、欠点などをあえて語ってみる実習による教育である。
 北村氏によれば「自己開示できる能力(ワザ)はリーダーの人間力を高めるといわれている。それは自己開示をすると他人の脳の中にある共感回路とつながって、他者との心の距離を近づけることができるからです」とのことである。
 これは脳科学者の茂木健一郎氏が唱えている説だそうだが、北村氏は12年前から、このワザの普及に努めてきた。
 では、第1期の塾生15人たちは、どのような動機から志塾の応募したのか。志塾に期待するものは何なのだろうか。
 関井正秀氏(44歳)は茨城県常総市で歯科医院を開業している歯科医師である。
「父親が教師だった影響もあるのでしょうか。私自身、昔から塾をやりたいという気持ちがあった。浅井さんの本を読んでそれに触発され、後学のために参加した。参加者たちは志をもったひとたちの集まりですから、皆さんどんな価値観を持ち、どのように考えているのか。塾の運営の仕方を含め、そのあたりをじっくり勉強したいと思っている」
 と関井氏は語っている。
 また、こんな夢も語っている。
「私は一人っ子で子どももいない。歯科医師として貯めた多少の財産を、できるなら自分の気に入ったかたちで世の中に還元していきたい。塾もその一つの候補ですが、将来は学校をつくり、有為の人材を育てたい」
 井本修氏(40歳)は青森から参加した元小学校教師である。教育改革に熱い情熱を持った人で、浅井氏らの理念と共鳴をした。それが志塾参加の動機である。
 井本氏は大学を卒業後、地元青森で小学校の教師になり崩壊していく学級と闘った。その7年間は1冊の本になるくらいドラマ性に満ちたものだったそうだが、7年間で教師生活に終止符を打ち、98年にH.E.ポテンシャル(総合教育研究所)を立ち上げ独立をした。なぜ教師を辞めたのだろうか。
「教育現場では教師も親も、そして何より子どもたちが苦しんでいる。それを何とかしたいという想いと、そのまま現場にいると腐りかけていく自分の姿に気づいてしまったことがきっかけでした。自分の知らない世界を観、見知らぬ人々に会ってみたい。そのうえで新たなものをつくり上げてみたという想いが内から湧き上がって、その思いを押さえ切れず、地方公務員を辞めることにしたのです」
 設立をしたH.E.ポテンシャルは「子供、教師、親の3者をネットワークし、外部から草の根運動として教育を変えていく活動を目指したもの」という。
 浅井氏との出会いは04年2月、第二海援隊が催したニュージランドツアーだった。ニュージランドの教育改革・教育システム・教育実践に興味を抱く彼は、その本質を探る第一歩としてツアーに参加、そこで浅井氏の志塾にかける熱い想いを聞き共鳴をした。
「将来目標としては、あと20年後に自分の理想とする学校をつくることです。地域で開発する教育システムですが、国家レベルの学校を目指します。」
 と井本氏は熱い想いを語っている。
 たぶん、幕末の志士たちも集まっては日本改革への熱い想いを語り明かしたにちがいない。現代の志士たちが一人でも多く育つことを期待したい。       
(人材教育 平成18年11月号)


        ■トップページに戻る■