読む漢方薬 第2回
●言葉にはとても力があるのです。
柴又にあるトラさん記念館で次のような言葉を見つけました。
「一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り、一つの言葉で頭が下がり、一つの言葉で笑いあい、一つの言葉で泣かされる」
今回は私が今までに出会った二人の友人のお話を中心に元気の出る言葉を紹介したいと思います。
●私は右肩上がりの時代、競争社会の中で生き抜いてきましたので、「目的地に誰よりも速く先に着くために頑張る」という考え方が身体に染みついています。
そのような考え方に疑問を持ちはじめた頃、白井隆之さん(燦葉出版社長)と出会いました。生まれて間もなく脳性小児麻痺に罹った白井さんは今でも身体が不自由です。大きなハンデを背負った白井さんはどのようにして会社を経営しているのか興味を持った私は日本橋にある燦葉出版を訪ねてみました。まずびっくりしたのは、出版社のイメージとはほど遠い零細な事務所です。白井さんは「売れる本」というよりは「読んでほしい本」をつくるという方針を貫いてきました。「売れる本」ではないので、本屋の店頭にはなかなか置いてもらえません。そこで考えたのが、書籍の産地直送方式による販売です。毎年、4ヵ月の間、リュックとバッグにたくさんの本を入れて全国の書店、学校、教会などにセールスに行きます。そのような努力を重ね、出版した図書は200種類を超えました。零細ではありましたが、多くの人たちに支えられ燦葉出版は昨年、創業30年を迎えました。記念パーティーには大勢の友人、支援者が駆けつけました。25歳の時に高円寺で四畳半の部屋を借りて電話一本で燦葉出版を始めた頃を思い出す白井さんは感慨無量の面持ちでした。経営の常識から言えば、零細な出版社が過酷な競争に曝されている出版業界で30年も生きてきたのは極めて稀なことです。
「10年偉大なり、20年畏るべし、30年歴史になる」という言葉があります。30年の間、初心を貫いて歴史をつくった白井さんのこれからの夢は出版した本をリヤカーに積んで、旗をたてて自転車で全国行脚のセールス活動をすることだそうです。どんなことでもいい。本当にやりたいことを見つけて30年、続けてみましょう。30年もの長い間、熟成させたワインは味も香りもいいのです。
●世の中でもっとも大切な言葉の一つは「ありがとう」という言葉でしょう。
鈴木中人さんはデンソーの社員です。鈴木さんは長女の景子ちゃんを小児がんで亡くしました。景子ちゃんは3歳の夏にがんを発病し、およそ3年の治療を経て6歳5ヵ月で旅立ちました。その景子ちゃんが生きた一日一日のこと、闘病の現場で感じたことなどをまとめたのが「景子ちゃんありがとう」(郁朋社)という本です。父親の中人さんと母親の淳子さんは「景子ちゃんの病気を治すために、両親ができることはすべてやる」と決心しました。医療現場では患者とその家族は医師より弱い立場にあるため、治療方針を質問したり要望を出したりすることは難しいものです。そこで鈴木さんは決心を貫くため小児がんについて文献で調べ、また「がんの子供を守る会」の会合に参加したりしました。そして疑問、不安、要望があれば主治医の先生方に率直に伝えていきました。景子ちゃんが亡くなる3ヵ月前、鈴木さんは「楽しい思い出を持たせて天国に旅立たせたい」という決断をしました。そして中人さん、淳子さん、弟の康ちゃんと一緒に2泊3日の東京ディズ二ーランド旅行に出かけました。シンデレラ城で金メダルを貰った時の景子ちゃんの嬉しそうな顔が目に浮かんでくるようです。亡くなる数日前まで身体の痛みをこらえモルヒネを飲みながら、小学校の宿題に取り組んでいた景子ちゃんは一日一日を希望を持って大切に生きました。
●「納棺夫日記」(文春文庫)の著者、青木新門さんの「いのちのバトンタッチ」という詩を紹介しましょう。
人は必ず死ぬからいのちのバトンタッチがあるのです。死に臨んで先往く人が「ありがとう」と言えば残る人が「ありがとう」と応えるそんな一瞬のバトンタッチがあるのです。死から目をそむけている人は見そこなうかもしれないがそんないのちのバトンタッチがあるのです。
●数年前、北海道で寺田一清さん(不尽叢書刊行会)に出会い、名刺交換をしました。寺田さんの名刺の裏に書いてあった言葉です。
あいさつ 朝の元気わく、すまいる すてきにニコニコと、こしぼね 立ててイキイキと、そうじは 気づきと場の浄め、はがきは 心の通いあい、この言葉はそれぞれの頭文字「あすこそは」で覚えるといいでしょう。
●「心暖かきは万能なり」は日本一のプロ麻雀士、桜井章一さんの言葉です。北朝鮮から帰ってきた、曽我ひとみさん、蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻は日本中の人たちから暖かい心で迎えられて、どんどん変わっていきました。心が暖かいことは万能に効く漢方です。
(第2回完)
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