この講演録は平成9年7月,「全国社内誌編集者会議」での講演の内容を主催者の日本経営協会がまとめたものです。


社内誌による社風改革


<会社に効きそうな市販の“新薬”>
 

いすゞ自動車で、36年間サラリーマン生活をやってきました北村三郎と申します。私は人事にいたときから人はどうしたら気分よく働くのか、どういうマネジメントをしたら人間は創造的な仕事をするのか、といったことに興味を持ってコツコツやってきました。 

 50歳を過ぎた頃、たまたま会社の業績が悪化して、人の心を変える、人の意識改革、もっと大きく言えば会社の社風改革をしようという仕事をする巡り合わせになりました。

 いすゞには「いすゞ能力開発センター」という子会社があります。教育専門の会社ですが、社風改革の話が出たとき、そこの社長をやらないかと会社から言われまして、教育会社の立場からいすゞの風土改革を始めました。非常に不思議な縁なのですが、そのいすゞ能力開発センターが、「いすゞ新聞」の編集を請け負っていたのです。そこの社長になるということは、当然「いすゞ新聞」の編集最高責任者でもある。これは「しめた」と私は思いました。そこで社内誌を使って、社員の意識を変えることはできないかということに挑戦していったわけです。

 いすゞ自動車は、今から6〜7年前は苦況のどん底にありました。乗用車もうまくいかないし、円高にもなっていく。会社というのはどこでも、体質を良くしよう、もっといい会社にしようと、いろいろな努力をします。いすゞ自動車も例外にもれず、いろいろな活動をやっていました。TQC活動、マッキンゼー、来島ドック研修、TPM、CI活動など、要するに、体質をよくするために、市販で効きそうな新薬はほとんど買って飲んだということです。

 ではなぜ、いろいろな新薬を投じても変わらないのか、それを研究してみることにしました。それでわかったのは、結局、ヤラセなわけです。つまり中央の本社で推進事務局をつくって、こういう運動をこれから展開するから社員の人たちはやりなさい、計画を出しなさい、その計画の進捗をフォローしますと。ところがそういうヤラセだと、現場は見事に辻褄合わせで対応するわけですね。

 例えば、いすゞではある時期、TQCでデミング賞に挑戦しようと考えました。それには、とても上手な15分のプレゼンテーションをして、改善事例をいっぱい出して、先生方の矢継ぎ早の質問にきちっと答えて、それを積み重ねないとデミング賞はもらえないのです。また、TQCには七つ道具というのがあって、家元からお免状をもらうには、この七つ道具をきちっと使わないといけない。

 そこで社員はどう対応したのか。会社ですから、過去にいっぱい改善事例があるのです。改善事例の古いものをもう一回引っぱりだしてきて、それに七つ道具を当てはめて、後付けでQCストーリーを作るわけです。それを土曜、日曜、あるいは残業してやる。会社のトップが決めたことですから一生懸命やる。そしてプレゼンテーションにかけるのです。

 みんなおかしいなと思うわけです。こんなことをしてデミング賞をとって何になるんだろうと。でもそう思いつつも、本業がどんどん遅れていることを承知していても、それをやってしまう。辻褄合わせをして、なるべく手抜きをして、形だけ整えようと。ですからライン側は、実にうまくやったフリをしました。私もやっていました。推進側としては、何かみんなやってくれているから、やったつもりになっている。結局、「やったふりとやったつもり」の二極構造になって、時間は経ってもほとんど体質は変わらない。そういうことが行われていました。

<改革はグラスノスチから>

 そうやってみんなが上手に辻褄合わせをしていったものですから、結果として会社の業績は非常に悪くなりました。

 日本経済新聞で出している「日経ビジネス」という雑誌がありますが、それに「ベスト5000社」という、上場企業の利益の順位が1年に1度載ります。そのとき同時に「ワースト50社」というのが発表されます。91年度の最終損益で、金メダルが山水電機の731億の赤字。2位が山一証券で532億。鋼メダルを取ったのがいすゞ自動車で471億の赤字でした。その時期はいすゞの“夜明け前”の状況で、社員は正直いって、あまり経営陣を信用していませんでした。

いすゞ自動車の大株主は、世界一の自動車会社といわれているゼネラルモーターズです。ゼネラルモーターズは当時業績もよくなかったし、連結決算ですから、日本の子会社が赤字になれば足を引っ張ることになります。それで非常に問題になったわけです。デトロイトの本社でも、アジアの拠点であるいすゞ自動車の赤字をどうするか、経営陣をどう刷新するか、と相当真剣に語られました。

 いろいろ論議された結果、日本の会社の経営はやはり日本人がやった方がいいだろうという判断が出たようで、当時56歳という、自動車会社11社の中で一番若い、関和平という人が社長になりました。そして今から5年前、社員の心の問題も含めて、再建に入ったわけです。

 その結果、昨年は388億、今年は350億ぐらいの黒字が出ました。約800億ぐらいの改善を4年間で行ったわけです。これは戦略の変革、例えば乗用車からの撤退など、思いきった策を実行したからだと思います。

 経営の言うとおりやっていても、そんなに会社がよくなるように思えない。そういうことが歴史的にずっと続いていたものですから、社員の心はかなりすさんでいました。それを、自分たちの会社をよくしようという気持ちに変えていくためには、ただリストラをやればいいというものでもないし、経営としては非常に苦悩したところだと思います。

 おりしもソ連ではゴルバチョフが登場して社会主義をどんどん崩壊させていきました。そのときペレストロイカ、つまりロシア語で革命とか改革という意味の言葉と併せて、グラスノスチという非常に重要なキーワードが出てきました。これは情報開示という意味で、改革をするときには絶対に情報開示が必要だということです。

<ノーカットの本音座談会>

 いすゞでも、今のこの状況を打開するためにはグラスノスチをやらなければならない。情報開示によって社員の意識を高めなくてはと思っていた矢先、人間の思いというのは伝わるものなんですね。社内報に縁のなかった私が子会社に行ったら、たまたまその教育会社が社内報をやっていた。じゃあここでグラスノスチをやろう。しかも「いすゞ新聞」編集長という情報のトップになったのだから、これは私の権限でできると。

 いすゞ自動車の創立記念日は4月9日です。そこで私は1990年4月9日、つまりまだ“夜明け前”の日に、「いすゞ新聞」の号外である座談会を企画しました。

 私は「いすゞ新聞」の編集部の立場でいろいろな若手社員、女性社員、外国人社員まで含めて、本音座談会を企画したわけです。

 形としては一応「新企業理念」というのが当時できていましたから、それを表面に置いて、本音で社長と語ろうと。それで、箱根にある「いすゞ仙石原ハウス」という迎賓館に出席者を集めて実行しました。その本番の前に4〜5回、出席する社員の間でミーティングを繰り返しました。彼らにはこう言いました。これは、いすゞの歴史に重要な意味を持つ座談会になる、だからぜひみんな若い人の感覚でしゃべってほしいと。

 今まで「いすゞ新聞」で本音でしゃべると、後で編集部が、具合が悪いか差し障りのある部分は全部カットします。そしてなんとなく形を整えていたんですが、私はみんなに約束しました。皆さんが語ったことは、一字一句、全部ノーカットでやりますと。新聞の右側にも「号外では、今回の座談会の内容を、始めから終わりまで全部ノーカットでお知らせします」と入れました。

 座談会は結局、5時間ぐらいの膨大なものになりました。例えばTQCのデミング賞で資料を後づけで作っているとか、お客様から電話がかかってきて「○○さんいませんか」と尋ねられると、「今、別室でTQCの会議やってます」と言ってしまうとか、そういうことをみんな載せたのです。それを8ページ組みの大きな新聞を作って、創立記念日の日にドーンと配ったわけです。これがきっかけで、社員の気分がいくらか変わったような気がします。ああ、こんなことを言ってもいいんだ、こんなことが会社の中で活字になって配られるのか、そう思った人がずいぶんいたようです。内容を創作して加工して変質させるのではなく、ありのままを伝えた。その後も改革のために私はプロデューサーとしているんな手を打ったのですが、この本音座談会が、会社が大きく変革する一つの糸ロを作ったのではないかと今も思っています。

 第2号では、当時、一橋大学助教授で、現在慶応大学湘南キャンパスの榊原教授、それと社長、あと女性も含めた7人の社員で、また本音座談会をやりました。これもまたノーカット版で出したのです。

 私は調子に乗りまして、第3弾は、生産部門の工場の人を集めて、現場の話をしてもらうことにしました。途中でビビッちゃって、私は恐くて出られないと言い出す人もいたのですが、会社の将来をよくするために一緒にやろうよと口説いて、同じように座談会を開いて、全部紙面で発表しようと思ったのです。ところがその矢先に、本社の人事の取締役から「待った」がかかりました。

 ちょっと原稿を持ってきてくれというのです。編集長は私だし、これをつくっている子会社の社長だから、今までは一切、決裁をとらないで、私の権限で責任もってやってきたわけです。しかし相手は親会社です。しょうがないから持っていきました。そうしたらこれは問題だということになって。人事当局も相当、注意を払ったんでしょう。最終的には4割カットされました。

<大企業病とその治療法>

 さて、いすゞ自動車では一方で、大企業病の治療というのをやりました。大企業病というのは、どこか成人病と似ていて、誰もが簡単に使う言葉だが、治そうとしてもなかなか治せないのですね。

 それでは、いすゞ自動車の大企業病の症状とは、いったいどんなものだったのでしょう。これを、100人委員会というのをつくって、自由闊達に本音で討議をしました。その結果、いすゞ自動車の大企業病は、3つの複合病から成っていることが判明してきました。

 1つは、「行き過ぎた部分最適病」です。ちょっとむずかしい言葉ですが、経営学ではサブ・オプティマイゼーションという言葉があります。つまり部分としては非常にいい状態なのですが、会社全体としてうまくいかない。生産部門はうまく回っている、あるいは販売部門は目標を達成している、しかし会社全体として利益が出ない。各部門の部分最適化が行き過ぎて、辻褄合わせの技術は発達するが、トータルとしての会社がよくならないという症状です。

 2つめは、先ほどお話しした「辻褄合わせ病」ですね。いすゞ自動車は辻褄合わせができないと部長になれないんです。私も40代には辻褄合わせの能力を一生懸命磨いて、部長になりました。

 3つめは、「やらせ・やらされ病」です。本来、会社というのは方針や目標に向かって社員一人ひとりが自分で発意して自主的にやるというのがいいんですね。ところが社員がやらないから、やらせる人がいて、やらせる状況に追い込む。そのノウハウがまた発達する。これでは会社は活性化しませんね。

 さて、その病気の治療ですが、いすゞ自動車で今やっている治療は、西洋医学ではなく東洋医学、漢方なのです。西洋医学は、病気の原因を見つけて、その原因を叩くというやり方をするのです。今は西洋医学が主流です。ところが世の中には西洋医学と東洋医学とが両方共存することが必要なのです。そこで人の心を変える治療については、東洋医学でいこうと思いました。

 たとえば社長メッセージを少し工夫しました。中央の企画部門とか人事部門でやると官報になるから、なるべく別組織でやるのです。そして、内容も「こういう会社にしたいんだ」という社長の想い。例えば若い人でも先輩にどんどんものを言う、そういうことが認められる会社にしたいなとか。そうした社長の哲学、考え方といったものを語ってもらう。つまり数字の羅列や山積みの課題などのような無機質でないもの、想いのこもっているもの、人が共感できるもの、それを出していくのです。

 ただ、なかなか社長も忙しいから、私たちはちょっと工夫をしました。社内で3人ぐらい、社長メッセージ編集委員というのを臨時につくるのです。広報の人間ではなく、現場の人にやってもらうのです。

 この人たちに社長と面談してもらいます。彼らは本当に遠慮会釈なくズバズバ聞きます。その質問をテープに起こして、社長のところに持っていって筆を入れてもらって、社長メッセージを作ります。そういうことを何回もやるのです。いすゞの社長はそれを5回発行しました。

 さて次に企業間交流というのも、社風変革にとって重要な漢方薬の一つです。いすゞの場合、一流会社とお付き合いはあるのですが、大きな会社だと製造しているものが違うだけで、会社の構造はだいたい似たようなものなのです。そこで私たちは、企業間交流というのを、もっと独創的に、クリエイティブに考えてみました。つまり、中小企業や中堅企業にある、素朴な経営の原点を持ち込みたいと思ったのです。

 劇団の方をはじめ、いろんな交流がありました。そういう中で会社というものが開放的になっていって、外の世界との触れ合いが広く出てくるわけです。

<登りだけでなく下りのマインドも>

 私が社内誌を含めて担当していたことはリ・マインディングということです。いわゆる右肩上がりが続いているときは、どこの会社も成長することだけをめざします。成長するときは、社員がなるべく均質の方がいいんですね。あまりいろいろ違いが出ない方がいい。

 ですから、いすゞ自動車でも、みなさんの会社でもそうかと思いますが、採用するときに、学校を選ぶんです。指定校制度、学校はここ、学部はここ。そうして、なるべく粒をそろえ、偏差値の高い人材を採用します。さらに人事管理でますます粒ぞろえをしていくのです。

 ですから、右肩上がりのときにふさわしいマインドが、われわれの心の中に知らず知らず植え付けられているのです。でもこれからどんどん世の中が変わっていく中で、このマインドは組み替えていかなくてはいけない。

 登山でも、山登りをしたら必ず下山しなければならない。下山には下山の技術があります。ところ社員は、登り方は知っているけれど、下り方がわからない、というようなマインドになってしまっていた。そのマインドを組み替えていこう。それがリ・マインディングです。意識だけでなく行動の変革も含まれます。意識が変わることで行動も変わらないといけないですから。

 一人一人の意識の集合体が社風なんです。組織の中にも、DNAの遺伝子のようなものが、会社の歴史とともに脈々と受け継がれています。会社の創業者の思想や、どういう業種であるかによっても違うのでしょうが、これを変えることは至難のわざなんです。ですから戦略・仕組みの改革というのは、急進改革でどんどんやるんですが、人の心を変えるには、あまり急進改革で無理やり進めるのはむずかしい。意識というのは自分で変えるものです。そういうチャンスをいっぱいプロデュースする。これは時間のかかることです。ですから東洋医学のように、漢方薬で、穏健改革で10年も時間をかけてやるんです。

 そこで、「右手の法則、左手の原則」ということが出てきます。1990年までは歴史的な視点でいうと、右肩上がり成長の時代。今はうつむき加減の時代です。右肩上がりの時代には、右手だけで会社を経営していたフシがあるんです。左手は使わない。つまり徹底した効率追求、そして徹底した統制。

 物事を決めるのは、すべてフォーマルで、会議、稟議書、文書。PDCA(プラン・ドゥ・チェック・アクション)で、そのとおりに動く。

 どこを切っても、みんな同じ顔に見える金太郎飴。これが望ましい社員だと言われていたわけです。

 こういう右手だけの経営が重視されて、日本の経済成長は成功しました。世界一に近い金持ち国になりました。私は終戦直後の悲惨な状況も知っているので、あの時から比べたら夢のようです。

 しかしその一方で、はかり知れないものを失っています。今はその失ったものを取り戻す時期に入ってきていると思います。人にはそれぞれ個性があって、それを無理にそろえることはむずかしい。

やはり創造性を発揮して仕事の仕方を変えたり、よい商品、よいサービスをつくることをしなければ、これから世界のトップリーダーとしての日本の企業は、存在し得なくなります。〈文責・編集部〉

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