安全哲学を深め、安全文化を育む

安全の確保を最優先課題として、より安全性の高い鉄道システムの構築を追求し続けるJR東日本は「第6回鉄道安全シンポジウム」を1995年12月18日、東京池袋ホテルメトロポリタンで開催した。
「安全は技術の問題ではなく、安全哲学として考えなければならない」とする松田昌士東日本鉄道代表取締役社長のオープニングスピーチの後、プレゼンテ−ション、パネルディスカッションと続き、原山清巳同社代表取締役副社長のクロージングスピーチで締めくくった。シンポジウムは午前10時から8時間に及んだが、613名の参加者は熱心にメモを取りながら耳を傾けていた。終了後、会場を移しての情報交換会でも、疲れも見せず活発に話し合う姿が数多く見られた。「鉄道安全シンポジウム」は鉄道の安全について議論を深める場として、1988年以来、毎年、実施されている。今回のテーマは「安全とヒューマンウエア」。今年よりこれまでの実行委員会形式から、JR東日本の単独開催となったのを機に、各支社の第一線の社員や協力会社など新しい顔ぶれが目立った。議論のテーマも現場の問題に即してよりアクチュアルなものとなり、示唆に富む内容となっていた。以下、シンポジウムの要旨をレポートする。

8年間の安全の風土づくり
五島
 JR東日本発足後、8年間の「安全」の」風土づくりは、安全を経営の最重要課題であると、たえず機会ある毎に周知徹底すること。また発生した事故を正しく把握すること、この二本柱で取り組んできました。
具体的には、まず現場第一線社員と経営幹部との信頼関係の構築、そのため本社幹部が現場に赴き、第一線社員と膝を交えて意見の交換をする場として、昭和63年から安全総点検(安全ディスカッション)を実施したほか、ヒューマンエラー対策としてバックアップシステムの整備に力を注いできました。安全への投資額は全投資額の40%強に達しています。また、ヒューマンエラーに対してはそれまでの「責任追及」から「原因究明」にシフトし、評価も減点主義から加点主義と変え、社員の努力には表彰等で報いてきました。
もう一つの取り組みが指示待ち体質の改善です。安全で安定した輸送サービスを提供していくには、決まられたルールにしたがって、計画通りに実行することが不可欠なために、社員の中には柔軟な思考が苦手な人も出てきます。そこで、自主性を育て国鉄以来の上意下達の気風を改善するために、チャレンジ・セイフティ運動を進め、社員一人一人が自ら安全について考え、議論し、積極的に行動することを目指してきました。

安全文化の発展段階
黒田
 この8年間、JR東日本の安全関係の仕事にいささか関わってきた立場から、その歩みを見ると、第一期(表参照)が終わって、第二期に移行している段階だと思います。「自主性、自発性を基軸とした安全文化」が議論のテーマとされるところまで来たのは大変な進展です。実際、当初は会場の雰囲気がお通夜のようでしたが、最近は皆さん祭りの準備に集まっているような印象を受けます。

リスク感性を磨くことが
岡田
 リスクに対して強い企業には共通点があります。
@社員全員が理解できる安全の企業理念が確立されていること、A経営トップが参画し社員の自主的な安全運動に理解を示していること、B全社員がリスク感性の推持・向上につとめていること、です。
このうちリスク感性の維持・向上については、私どもでは、被害想定方式の机上訓練を行っています。これは一定規模以上の地震など、自然災害が発生した場合、その対応の核となる対策チームのメンバーを対象に、リスク感性を高め、判断力を養おうというものです。訓練は1回につき1時間.これなら忙しい人でも参加できます。そして、2か月に1回定期的に実施します。このサイクルなら通常業務に支障がなく、前回の訓練の記憶も残っています。さらに毎回シナリオを変えてさまざまなレベルの業務障害を想定していきます。机上訓練を実施するに当たっては、次のような取り組みをしています。
1 自由な発言の場とする
2 シナリオは最悪の事態を想定する
3 必ず結論を出す
4 議事録をとる
5 成果をマニュアル化する
たとえば、訓練を自由な発言の場とすることによって各メンバーのコミュニケーションが促進され、情報の共有化も進みます。このような訓練を通じて、職場の一人一人がリスク感性を磨き続けることができ、ひいては企業の安全性の向

企業変革の仕掛人
北村
 いすゞ自動車は業界の中で最も歴史のあるメーカーです。かつては自動車御三家のひとつだったのに、なぜモータリゼーションの波に乗り遅れ、後発企業に追い抜かれたか。その原因としてはヒット商品に奢り、プロダクトアウトの仕事をしていた。労使関係の安定のために、制度、規則、判例ばかりが整備されてきた。人事の根本である「人はどうしたら気持ちよく創造的な仕事ができるか」が省みられなくなり、自分を出さない依存体質の社員が増加した、などがあげられます。当社は最近まで重い大企業病にかかっていました。私たちはそれを分析し、いすゞ大企業病の症状と病名を明確にしました。それは合併症で@行き過ぎた部分最適病(縦割り組織の各部門はそれぞれ目標を達成しているように見えるが、全体として利益が出ない。)A つじつま合わせ病B やらせやらされ病です。
これらと対決することから当社の企業改革は始まった。
いすゞの企業改革は、戦略の改革(リストラクチャリング)、仕組みの改革(リエンジニアリング)、社員の意識、行動の改革(リマィンディング)の三本柱から成り立っています。私たちは企業の基礎体力である社員の意識、行動の改革に取り組みました。
そのために「人と情報」に関する価値観の見直しを行いました。具体的には「社長対話」や、ミニコミ誌で社員に呼びかけていきました。部門を超えて仲間づくりをして、お互いに知恵を出し合って、改革のエネルギーにしたのです。
そして、自分たちの意識から変えていき、それをひとつひとつ積み上げながら、いすゞ全体の企業体質の改善を図っていきました。

安全性と定時性のズレ
黒田
 JR東日本の安全への取り組みが第2期に入った今、 安全性とその他の社会的な基本使命(定時性・迅速性・経済性・快適性)との間にギャップが出てきることが予想されます。例えば安全性と定時性のズレにはどのように対応しているのでしょう。
五島 両者は必ずしも対立する概念ではないと思います。列車ダイヤ通りに運行することが安全性の確保にもつながるわけですから。また、異常時に躊躇なく列車を止めることで、結果として遅れたとしても、これは定時性とは別の次元のことだと思います。
柴田
 安全性はメーカーにおける品質に似ています。現場のラインは納期遅れをいちばん嫌います。できれば製造ラインを止めたくない。でも品質を維持するためには止めなければならない場合もある。二律背反の難しさですね。
北村 自動車の生産ラインは、今まで絶対的に“量重視”でしたね。何か不具合があっても、とにかく止めないで生産量を確保し、ラインオフしてから手直ししたり。これは結局は大きなコストがかかりました。最近は現場のマネジャーが、止めるか止めないか。状況を見て、その場で判断できるようになっています。
柴田 実際、ラインを止めれば量は一時的に減っても、最終的には増えていますね。
黒田 時間に対して大変厳しいのは、日本文化の特徴です。危なかったから列車を止めたといっても、結果的に何もなかったら「あんなことで止めて」という人が必ずでてくる。(笑い)
柴田
 「列車は遅れない」を前提にして私たちはスケジュールを立てていますから、遅れれば困る。とはいえ、事故のほうがもっと困ります。安全性の面から、たとえ遅れても列車を止めることが大事なんだと経営人が思っていても現場にはそれがどのくらい浸透しているでしょう。
五島 かつての管理は責任追及による減点主義の傾向がありましたが、今ははっきりと原因究明型になっています。しかし、だからといって責任を問わないわけではない。問われてしかるべき責任があれば別です。ただ責任を問うことと処分がイコールではないこと。このことが現場第一線の社員すべてに理解が行き渡っていると残念ながら断言できません。

「なぜ?文化」の定着
黒田
 鉄道の仕事はマニュアル通りにやっていかなければならない側面がありますが、それが行過ぎるとマンネリズムに陥ります。 マニュアル通りに基本動作を守ることと、自主性、自発性を発揮することの間に齟齬は出てきませんか。
五島 列車の運行やメインテナンスといった仕事は、一つ間違えばお客様の生命に係わるような、消しゴムが効かない仕事ですから、マニュアル通りにといった面はあります。しかし、そのマニュアルも、本社が標準的、必要最小限のものを提示し、それに基づいて自分たちがそれぞれの作業(職場)特性に応じて、自分たちに合ったものにしていけば、マンネリ化しないのではないでしょうか。
黒田
 航空業界ではマニュアルがきちっとでき、シュミレーターも使って教え方が格段に上達しました。しかし、その一方でマニュアルのお化けになってしまった。その結果、規則に忠実なあまり自分で発想しなくなったとしか思えないような事態も見られます。「有視界飛行」でといわれて、雲に入るまい入るまいとして海に入ってしまったとか、怖いですね.大所高所から自分で発想することがスポッと抜け落ちている。
柴田 マニュアルにしたがって行動しているときでも、何のために今、こうしているのか、考えながら行動することが大切なんですね。
五島 そうですね。手段であるべきマニュアルという規範が目的になってしまっては、まずいと思います。
柴田 企業文化、安全文化の形成で大事なのは「今なぜこれをするのか」「なぜその指示が出てきたのか」に対して「専務が言っているから」で終わらせないで、その「なぜ?」が納得のいく形で説明され、その情報を全員が共有すること。いわば「なぜ?文化」を育てて定着させていくことだと思います。

現場からの改革推進
岡田
 いすゞ自動車さんが大企業病を克服するために、企業改革に乗り出した直接のきっかけは何だったのでしょう。
北村 バブル最盛期の業績不振で、我々はかつてない瀬戸際に立たされたんですね。雇用にも危機感があらわれた土壇場で、自分たちの会社の将来のために這い上がろうと、一部の社員が経営陣に働きかけて、つじつま合わせ病に冒された企業風土、文化の改革に乗り出したのです。
柴田
 お手伝いをさせてもらった私には、当時は危機感というより不安感でしたね。しばらくして経理部長がオープンに現場で業績の状況の話をしたりすることによって、自分たちの置かれている状態を理解しだしてから、危機感がうまれた。
黒田 危機感が必ずしもエネルギーとはなりませんし、特に優秀な社員ほど自分から動こうとはしない。
北村 確かにこの改革を進めたのはトップエリートたちではなく、従来の常識とか枠組みにとらわれない現場、工場の人たちが中心でしたね。その誰もが現状に満足せず、機会があれば自分の力で会社に貢献したいという思いを持っていました。
岡田 改革などを進めるに当たっては、評価も大切だと思います。たとえば自動車の安全管理者の悩みを調査したものをみると、安全とか事故防止活動をいくらやってもなかなか評価してもらえないというのがあります。それだけにその役割を正当に評価することは何よりも大切なのでは。
柴田 企業改革は会社のため以上に、社員自身のためにやっているのではないでしょうか。いすゞの場合、自分の評価をあまり気にしていない印象がありますね。
五島
 まず少人数で小さな組織から改革を進められそうですが、具体的にはどのようになさったのですか。
北村 私どもにはそのための推進部署はないんですよ。とはいえ、変化は何らかの仕掛けがないと起きませんね。やらせはダメだが、仕掛けは必要です。そこで私のような窓際族(氏はウインドウシッターズの企業文化変革の仕掛け人としてアメリカのウオールストリートジャーナルに紹介された)が仕掛け人として、現場のエネルギーのある人をネットワークしながら、風土改革の必要性を議論していきます。言い換えれば、そういう人たちの自主性、自発性を組織化していくということです。
岡田
 会社側からの認知はどうなっているんですか。
北村 「100人委員会」として公式に認めていますが、これは強制ではない。やりたい人たちや職場が自由にやっていい活動ですから、部分、部分の細胞組織が活性化することで、それがだんだん広がっていくわけです。
岡田 推進する組織がありませんと、なかなかリードしていくのが難しいのではないですか。
北村 それはこれまでの常識なんですね。人事異動で選ばれて推進部長などになると、その人にとっては現場にどんどんやらせることが仕事になります。つまり“やらせ”になりがちだということです。企業風土ですとか体質などの改革は、社員一人一人の自発性からやるべき運動だと思います。
柴田 企業変革は長さ(エネルギー)と方向性を持った(ベクトル)なんですね。エネルギーをもった社員はどこの企業にもいます。ただ、そのエネルギーを発揮するチャンスがない、あるいは隠しておいたほうがいいと思わせる企業が少なくありません。一方、方向性は企業の変革哲学のことです。どんな方向に。どんな風に変えていくか、それが自分たちにどんな意味があるか。初めから答えがあるわけではない。だから、みんなで議論して一つ一つ解決していかなければならないと思います。

(第6回鉄道安全シンポジウム 1995年 12月8日 東京池袋 ホテルメトロポリタン)
このときの要旨が1996年1月16日、企業広告として朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などに掲載された。

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