平成23年5月19日
           石巻支援活動レポート
                    杉本哲也

 4月28日の夕方にJR奈良駅を出発して、宮城県の石巻市の支援活動を行ってまいりました。石巻市は仙台から北東の海岸沿いにあり、津波の被害が大きかった場所です。今回の支援は、就職支援活動を行っているNPO法人経営パラリンピック(以下、経パラ)のメンバーが就職支援活動の一環として復興支援に参加したいという要望があり、受け入れ先を探した結果、石巻市にいくことになりました。ゴールデンウィーク期間ということもあり、ボランティアセンターでは20人以上の団体でしか受け入れをしないという方針でしたので、マイクロバスを借り切って20人分の寝袋と食料と作業道具を積み込んで、現地を目指しました。20人の内訳は、9人が経パラの関係者、6人が予備自衛官、3人が大学生、残りは私と私のアメフトの後輩です。
  
 夕方19:00に奈良駅を出発し、天理ICから名阪国道を通って、東京を目指しました。途中の御在所SAで新たなメンバーが乗ってきました。そこから東名阪国道、東名を経て、東京都内の東京ICで新たなメンバーが乗ってきて、ここで20人揃いました。そして、首都高を経て、川口JCTから東北道に乗り、富谷JCTから三陸自動車に入って、石巻を目指しました。ゴールデンウィーク初日ということもあり、東松島市付近にさしかかると渋滞していたこともあり、現地には集合時間の朝9:00ギリギリに着きました。

 石巻の災害ボランティアセンターは、石巻専修大学のキャンパス内にあります。現地に着くなり、早速、作業着に着替えて準備にかかりました。ボランティアセンターから現場の地図と作業内容が渡され、再びバスで移動しました。
 キャンパスを出ると、隣の敷地に瓦礫の廃棄場となっている広場がありました。広さは東京ドーム20個分くらいあります。その敷地いっぱいに瓦礫の山が広がっていました。入口では各現場で瓦礫を積んだトラックが渋滞を作っていました。私たちのバスはそこを横目に現場を目指しました。川を渡ると、津波の被害を受けた地域に入りました。建物を見ると、津波の跡がついています。さらにもう一つ川を渡ると、石ノ森章太郎氏が作った漫画博物館がありましたが、これも無残な状況に陥っていました。
 当日の作業現場は、湊小学校の裏手にある慈恩院というお寺の敷地内にある墓地でした。墓地では津波で流されてきた車が墓石の上に乗っかっており、津波の威力の凄まじさを物語っていました。作業の内容は、墓地に流れ着いた瓦礫や泥を運び出す作業でした。墓地の入口までは重機が入って、瓦礫を撤去してくれますが、墓地の通路は狭くて重機が入れません。そこを人手で片付けするという感じです。
 瓦礫の詳細は、壊れた建物の残骸やコンクリート片から、家具の破片、テレビ・洗濯機などの家電製品、ガスボンベ、タンスの中に入っていたと思われる洋服や、冷蔵庫の中身、台所用品など様々な物が混じっています。年賀状や写真などの思い出深いものもあれば、小判や宝石などの貴重品も見られました。さらに海水の中で泳いでいた魚が打ち上げられたものや、地上で生きていたハトや猫などの死骸も時折見つかり、震災から1か月半経っているので、腐敗して悪臭を放っていました。また津波に交じっていた泥がヘドロとなって、あらゆる箇所にこびりついていました。
 私たちはまず瓦礫をリアカーに乗せて重機が入ってこれる場所まで運びだし、ヘドロをスコップでさらうという作業を繰り返しました。段差がある場所はリアカーも入れないので、籠に入れて運び出すしかありません。かなりの人海戦術で作業を進めないと一向に作業が進みませんでした。
 石巻にはいろんなボランティア団体が来ています。他のボランティア団体も20人単位で人を送り込んでいます。相当広い墓地の片づけを行いましたが、別の団体の人たちが途中からかけつけて60人近くで作業を進めたりもしました。
 長時間作業をすれば、見違えるほどきれいになる場所が出てきます。作業内容は肉体的にかなりハードなものなので疲労困憊でしたが、休憩時間にきれいになった箇所を見て、「また新たな気持ちで頑張ろう」と意欲を掻き立てて作業を続けました。

 宿泊は、石巻専修大学にテントを張って、キャンプをしました。大学内には陸上競技用の天然芝グラウンドがあり、多くのボランティアはそこにテントを張って滞在していました。このキャンプ地には、ボランティア用に仮設トイレも設置してあります。ところが一見不自由がなさそうですが、最も困ったのはお風呂です。石巻は下水が復旧していないので、石巻市内でお風呂に入ることができません。涼しかったとはいえ、肉体労働は汗をかく上に、ヘドロの悪臭がこびり付きます。私たちも汗と泥の臭いであまりにもひどい状況でしたので、石巻から一時間くらい離れたお風呂屋に行って汗を流しに行きました。

 二日目も同じ場所での作業でした。慈恩院のご住職が私たちを指名してくださいました。というのも、上述したように石巻にはいろんな団体が入っています。もちろんすべての団体は奉仕精神に溢れて、被災地入りしているのですが、中には被災者との意思疎通がうまくとれない団体もあります。
 たとえば瓦礫を片付ける作業においては、ボランティアの人からすれば、価値のない瓦礫でも、作業を依頼した住人にとっては思い出深い価値のあるものだってあります。ボランティアは依頼人の指示に従って作業を行わないといけないのですが、ある団体から派遣された集団で、作業効率のみを重視して、何でもかんでも捨てていく集団がいました。依頼人が集団のメンバーに注意すると、集団の代表が怒って、集団ごと引き上げていくという場面も目の当たりにしました。
 依頼人も、新しい集団が来ると、そういうリスクを背負わないといけないので、初日の作業姿勢が良ければ、次の日も同じ人たちに来てほしいというのが本音のようです。
 
 二日目も一日目の作業の続きをしていました。すると、あるお婆さんがお墓にやってきました。自分の家のお墓がどうなっているのか様子を見に来たようです。そのお婆さんの家のお墓は墓石が倒れていました。お婆さんはそれを見ると、お墓の前で平伏して、「お祖父さん、ごめんねごめんね」と涙声で叫びました。そして、倒れた墓石を私たちも手伝いながら元に戻して、墓にたまった泥や砂を払いました。「これでようやく安心して寝られるってよ」お婆さんは少し安堵の表情で言いました。
 その後、安心したのか、お婆さんは被災後の生活について色々と話してくれました。
「一番辛かったのは何かって言ったらね、地震の後しばらく、仏壇にご飯が供えられなかったことなんよ。しばらく経ってからおにぎりが配給されるようになったからね、それをご飯代わりにお供えしてたぁ」
私はそれを聴いて、思わず聴いてしまいました、「お婆さんが食べるものはどうしてたんですか?」と。
「私はね、我慢すればいいじゃないの。だけどご先祖様はお供えがないと困るでしょ」
これを聴いて、私たちは言葉を失いました。死者を優先するのが日本人の美徳とはいえ、こんな辛い状況でもそれが行われていると知って衝撃を受けました。

 二日目の作業が終わると慈恩院のご住職から、御礼と共に、「復興し終った後に、ぜひ遊びに来てください」ということを仰って頂きました。今まで東北とはほとんど縁のなかった私ですが、この機会に様々な縁に巡り合うことができました。自分が支援活動した場所には、いつか必ず行ってみたいと思います。

 二日目の作業が終わった後、石巻の海岸沿いの被害状況を確認しに行きました。港の方に行くと、大船渡のように壊滅状態でした。石巻は、他の町に比べて復興が進んでいるとはいえ、瓦礫撤去の作業はこれから本格化するものと思われます。今回はまだ涼しかったから、ハードな肉体労働もそれほど苦にはなりませんでした。しかしながら、これから夏に向けて暑くなってくれば、人手での作業も困難を極めるに違いありません。

 今回のボランティアで感じたことは、「働く」ということは正に「傍楽」、つまり人の役に立つことだということを実感しました。「仕事」も「仕える」と「事える」ということで、結局は人の役に立つことです。自分の生活を成り立たせるためではなく、人の役に立つという究極の目的を目指すことが、「働く」や「仕事」の原点なのだということを痛感させられました。もちろん一般的な意味での「働く」や「仕事」には経済性や生産性が伴いますので、今回のボランティアの行き帰りの時間と交通費を考えれば、費用対効果は小さいかもしれません。しかしながら、世の中には人に感謝されるという、お金には変えられない無上の価値があることを体験するには絶好の機会だったと思います。奇しくも一緒に行ったメンバーの多くが就職活動中、またはこれから就職活動開始ですが、彼らにとってはとてもいい経験になったのではないでしょうか。これから世の中に出る学生たちには、一度でいいから、この汗の尊さを経験してほしいと思います。

 最後になりましたが、石巻に行くにあたって、多くの人からご協力を頂きました。この場を借りて心より感謝を申し上げます。
 

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