“なりたい”は目標ではない。
“なる”という強い意志で、自ら工夫する者が勝利することができる

花形ボクシングジム 会長 花形 進 
インタビュアー:人と情報の研究所 代表 北村三郎

2002年1月29日、32歳5ヵ月という日本ボクシング史上2番目の高齢でWBAミニマム級世界
チャンピオンに返り咲いた星野敬太郎は、元WBA世界フライ級チャンピオンの花形進氏のジムに
所属している。日本に46名いる歴代世界チャンピオンのうち、世界一を育てたのは花形進氏が初
めて。熱烈なボクシングファンであり花形進氏と親交のある北村三郎氏が育成の考え方を伺った。

長く続ければ続けるほどチャンスの数は多い

タイトルを奪取した星野さんは、これまで幾度となく引退を表明しています。実際、98年には1年以上も試合から遠ざかっていましたね。

花形 1度でも体験した人なら理解してもらえると思うのですが、ボクシングは簡単に辞められる競技ではないんですよ。自分の力を出し切っていないうちに辞めてしまうと、またやりたくなってしまう。

その魅力とは、何なのでしょう?

花形 リングに上がった時の気持ちが忘れられないからかな。4回戦だろうと10回戦だろうと、その時は自分が主役ですから。リングに向かうまでの間にかかる「がんばれよ」という声援が、勝ちたいというプレッシャーとの相乗効果となって自分に押し寄せてくる時の高揚感。首尾良く勝利を手にできたなら、「やったな!」「おめでとう!」という声に送られ、控え室までの通路をまさに凱旋するという誇らしさ。あの興奮を味わうと、1回ですぱっと引退できる選手はまずいませんね。

それなのに花形さんは、星野さんの引退を引き止めてはいませんね。

花形 やる気の有無は、他がとやかく言える問題ではありませんから。
 ただ、迷っているなら私は、辞めるなと言います。4回戦で、1回の試合に負けただけで辞めたいと言い出す選手は多いんです。まずは、4回戦で1回でも勝つことです。勝てば、ボクシングの魅力を知ることができる。それが次につながります。ボクシングに情熱があるのなら続けろ。長く続ければチャンスが来る。負けなんて気にするなと言うんです。

それは、花形さんのご経験からですか。

花形 そうです。私は10回戦に昇格するまで31回も戦ってますからね。人の倍、やっているんです。

世界チャンピオンになったのも62戦目で、それも5度目の挑戦でしたね。

花形 ええ。4度の世界挑戦に失敗しました。でも、負けたことを気にしても仕方ない。次の試合につなげればいいんです。辞めてしまうことは、自らチャンスを捨ててしまうことになる。
 もっとも、ただ長くやればいいといっているのではありません。チャンスが巡ってきたときにモノにできるよう努力し続けていなければ意味がない。そして結果を得るためにどうすべきかは、自分で工夫するしかないんです。その意味では、ボクシングに限らずどんな場合でも、知恵を出さないと勝利の美酒を味わうことはできません。

指導者は、必要ないのですか?

花形 技術的なアドバイスは、ないよりもあった方がいい。実際、ジムの会長、あるいはコーチやトレーナーと強い信頼関係で結ばれていれば、選手は急速に力をつける。その逆はありません。しかし結果を出すのは、勝ちたいという選手の強い気持ちです。

幸運だったのは、自分にあった目標を選んだこと

勝ちたいという強い気持ちというのは、どこから生まれるのでしょうね。

花形 現実には、気持ちではだめです。具体的な目標でなければ。私の場合は、世界チャンピオンになるんだ、というものでしたね。

それは、ボクシングをはじめたきっかけでもあるのですか?

花形 そうです。中学時代にテレビでファイティング原田さんの勇姿を見て、俺も世界チャンピオンになるんだって思ったのです。俺ならなれるって確信していました。なぜかな。飛び向けた才能があったわけでもないのに。
 中学卒業後は進学もせず、ボクシング中心の生活でした。ボクシングの練習に差し障りがないようにジムの近所の運送会社に就職して。酒もタバコはもちろん、ボクシングに妨げになるようなことは一切やらなかった。

10回戦に上がるまで、挫折も少なからずあったわけですが。

花形 でもへこたれなかったですね。先輩に「お前なんか、ボクシングは無理だよ」と笑われても、自分では世界チャンピオンに絶対なるんだと思っていました。星野だって、入門時に世界チャンピオンになるような片鱗があったわけじゃない。実際私が、星野以上に期待していた選手はたくさんいます。でも、星野が世界チャンピオンになった。それは、彼が俺は世界チャンピオンになるんだと信じていたからだと思います。
 チャンピオンになりたい、ではだめなんです。チャンピオンになるんだ、という信念にも似た強い気持ちが、目標になる。星野も私も幸運なのは、大好きなボクシングで結果を出すことが目標であったこと
でしょう。その意味で、自分にあった目標を選ぶことができた。 ボクシングが好きでも、どうしても向いていない人もいます。しかし、そういう人は不幸ではない。ボクシングで得た体験は決して無駄にはならない。目標達成のためにどうアプローチするのかという方法論を、少なくともひとつは獲得できたわけですから。

それに、ひとつの目標を達成した後は、また違う目標が必要ですね。花形さんは、目標を見失うといったご経験をされたことはなかったのですか。

花形 ないですね。私は、ボクシングに関しては貪欲なのです。引退後は、まず自分のボクシングジムを持ちたいと思った。世界タイトルを奪取した者として、世界チャンピオンを育てたかったのです。

引退は30歳でしたね。

花形 ええ。引退当時はジム開設も資金など、ありませんでしたから、まずは生活のために職を得ることが必要でした。結局、焼き鳥屋の店員になり、その後はスナックで働きました。ジム開設の資金の目処など一向に立たちませんでした。

それでもジム開設をあきらめなかった。

花形 ええ。ある時、ボクシングの解説を依頼されて出かけた試合会場で、20年振りに一緒に練習していた先輩に声をかけられたのです。いまは会社を経営しているというその方が、私がジムを建ててやるからとおっしゃって、花形ジム開設のきっかけを作ってくださった。それまでもいろんな方にジムをやりたいのだという話はし続けていたのですが、実現するまで8年かかりました。もちろん、いまもその方にジムの家賃を払っていますよ(笑)。
 実は私は、かつてその先輩にボクシングの練習後、牛乳を2本、奢ったことがあるそうです。私はすっかり忘れていたのですが、彼はこのジムが開設した時、その想い出を語ってくれたのです。まだ2人とも若くて貧乏だった練習生時代の牛乳だから、1本15円程度ですよ。つまり、30円で私は、このジムを建ててもらったんです(笑)。大切なのは、あきらめないことなんです。

会長が示したビジョンに共感した人たちが集う

あきらめないこともですが、花形さんのお話を伺っていると、人に誠実であったり、寛容であることも大切であるように思います。私は、花形ジムのサポーターを自認しているのですが、ここへくるといつも和やかな雰囲気を感じます。ボクシングには硬派なイメージがありますし、なかには序列にこだわるジムもあると聞きますが、花形ジムの選手や練習生たちは屈託がなくてみな明るいですね。

花形 雑誌社の記者の方々もそうおっしゃいますね。他のジムと違って花形ジムにはピリピリした緊迫感がないらしいのです。いや、うちも練習は厳しいですよ。ただ、練習後まで厳しさを持ち込む必要はない。私自身が、選手たちと一緒になってふざけていますから。
 それが私のやり方です。ジムに来るのが楽しい、そうでなくては長く続けることはできません。まずは長く続けることが大切です。練習が終った後、みんなで集まって牛乳飲んだり、私のところに届いた差し入れをつまんだり。練習が終れば、友達だという関係でいいと思うのです。それは、私もコーチもトレーナーも含めて。上下関係なんてナンセンスですよ。

星野さんが一時引退して1年のブランクがありましたが、その後、ボクシングに復帰したのは、後輩の選手たち全員が彼に戻るように説得したからだと聞きました。

花形 私も驚きました。星野にも、それだけの魅力があるのでしょう。ボクシングは、練習試合を重ねるなかで、互いの実力を測り合う。強い先輩がいれば、その人を基準に自分の実力を知ることができる。ジムの仲間が切磋卓磨し合うことも、ジムの大切な要素です。私は、アットホームななかでお互いを刺激し合えればいいと思っています。

元世界チャンピオン花形進に憧れて、花形ジムに入門する練習生たちも多いでしょう。彼らにとっては、言わば花形さんはスターだ。その花形さんが気軽に声をかけてくれるのですから、彼らはうれしいでしょうね。

花形 どうでしょうか。私は、高圧的な態度が我慢できないのです。引退後、焼き鳥屋で働いていた頃、店に来てやっているのだからと言わんばかりの、客が上、店員が下というようなお客さんの態度に私はくやしい思いをさせられましてね。その時、自分は立場の違いで人を見下すようにはなりたくないと思ったのです。
 もちろん、私やコーチ、トレーナーは、選手たちにボクシングの知識と技術は教えます。しかし、勝利を手にするのはその人次第であり、われわれは育ち育てられる関係にある。星野が後輩たちの説得でボクシングに復帰したのも、恐らく後輩たちから何かを学んだからでしょう。もちろん、後輩たちは星野から何かを学んだから彼を説得したのでしょう。

花形ジムは周りにサポーターがたくさんいると伺っています。

花形 周りが盛り上げてくれるんですよ。私が頼りないからでしょうね。私はただ、こうしたい、ああしたいっていっているだけです。

会長がビジョンを示し、そのビジョンに共感した人たちが集まってそれを実現させているのですね。

花形 星野の他にも世界チャンピオンを育てて、近い将来、ラスベガスで世界タイトル戦を開催したい。それが、いまの私の目標です。周りに支援してもらって、みんなで実現してみせますよ。
(構成:浅久野映子)

●花形 進(はながた すすむ)氏
1946年生まれ。63年1月、後に横浜協栄ジムとなる協栄河合よりプロボクシングデビュー。69年4月、日本フライ級王座獲得。74年10月、世界タイトル獲得。1976年、引退。1985年、花形ジム開設、会長に就任。

                  ■トップページに戻る ■