JR東日本の安全文化

                         2011−06−25 稲生 武

 東日本大震災以降現在に至るまで、多くの悲惨な被害や原発事故報道の陰に隠れて大きくは取り上げられなかったが、私たちがきちんと事実を把握し、正しく評価しなくてはならない大切なことがあった。
 あの瞬間、JR東日本の圏内で27本の新幹線が走行していたが全ての列車が無事に停車した。無論怪我をされた乗客は一人もいない。あれだけの地震にもかかわらず、高架橋の橋脚は壊れなかった。

 筆者(2001年から8年間社外取締役、現在顧問)の見るところ、幸運や偶然ではなく、JR東日本という企業の組織風土、安全文化がもたらした必然と断言できる。
筆者の経歴から、身びいきと受け取られるかもしれないが、精一杯、中立公正な立場で見聞きした事実を書かせていただくのでご理解いただきたい。
 
 最初の学びと行動の始点は1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災であった。部長をリーダーとする土木工学の専門家が現地に入り、橋脚が破壊し倒れた高速道路をはじめ詳細な調査を行った。結果を持ち帰り、自社の橋脚の強度が不足と判断し、約172,000本という膨大な数の橋脚に優先順序をつけて補強工事を始めた。15年かけて55,000本強の補強が終了した時点で東日本大震災に遭遇した。本数では三分の一しか補強が終わっていなかったが、弱い橋脚を優先して補強したことが成果につながった。
 
 9年後に起きた2004年10月の新潟県中越沖地震ではこれまでの対策の成果確認と新しい学びを行った。橋脚の補強が間に合い、1本も破壊しなかった。特筆すべきは脱線した新幹線が折れ曲がることなく真っ直ぐなまま停車出来たことである。負傷者はゼロであった。列車やトラックトレーラーの様な連結車両の場合、恐ろしいのは連結部分が折れ曲がり、全体がぐしゃぐしゃになり、大惨事になることで、一時期、アメリカのハイウエイで多発した。ジャックナイフ現象と呼ばれた。調査の結果、偶然、ある部品が車輪との間にレールを挟み込み、車両がレールから大きく外れるのを防いでいたことがわかった。早速このことをヒントにジャックナイフ防止用の専用部品を設計し、取り付けた。トンネルが壊れ、トンネルの補強が必要であることも学び、早速実行した。
さらに地震計を増やし、最初に伝わるP波を検知すると瞬時に全電源を切るシステムを更に精緻なものにした。

 上記以外にも、紙面の都合で触れられなかった沢山の対策が実施された。
気の遠くなるような地震対策を15年以上かけて、文字通り愚直に続けた結果が、今回の負傷者ゼロにつながったと思う。

 この愚直さははたしてどこからきているのだろうか。背景を企業風土、安全文化の面から触れてみたい。
はじめに思い出すのは、社外取締役に就任して間もなく、安全のための投資金額が売上高に対して非常に大きいということだった。また、多くの書類で常に安全が一番先に書かれていることであった。中越沖地震の発生直後、社長はドイツに出張中だったが、第一報が入るや、全ての予定をキャンセルして帰国、成田からヘリコプターで現地に入り、初動の指揮に当たった。まだ確たる復旧の目処が立っていない時期に、社長が記者会見をして「12月28日に運転再開します。安心して予約券をお買い下さい」と宣言した。
年末の帰省客をはじめ多くのお客様が安心して予定を組むことが出来た。
後日、社長に、あのタイミングでどんな成算があって宣言したのか訪ねると「確たる成算はなかったが皆が必ずやってくれると思っていた」が答えだった。

 修復が出来、安全を確認するための試運転車両の運転席に社長が乗っていた。
これらのことは、「安全最優先」を言葉や書類だけでなく、経営トップが自らの行動で示している好例である。筆者が勤めた8年間とそれ以前のことを調べた限りでは、社長や担当役員が変わっても方針は変わらず、社員は安心して10年、20年の計画を立て、実行しているように見える。
もうひとつの組織内に漂う安心感は社長以下、皆が云うこととやることが極めて一致していることである。そして、素直に学ぶ姿勢にも触れておきたい。
私はこれほど言行一致、素直に学ぼうとする企業は他に知らない。
 
 繰り返しになるが、27本の新幹線が一人の負傷者も出すことなく、無事停車出来たのは全社員が本気で安全を最優先と考え、信頼し合える風土のもとに、15年以上にわたる愚直な努力の積み重ねによる必然であったことを強調したい。

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