リーダー養成に必要なのは、人間の本質を捉え、いかに問題に対処するかを学ぶこと

志ネットワーク 代表 上甲 晃氏 

1979年、松下幸之助氏の私財拠出を当初基金とし、公益法人として設立された松下政経塾。
80年4月の開塾以来、これまでに衆議院議員19名、参議院議員2名、そして山田宏東京都
杉並区長、中田宏神奈川県横浜市長など、多くの政治家を養成してきた。81年11月から14
年間、塾頭として松下幸之助の想いを受け、松下政経塾の礎を築いた上甲晃氏に、松下政経塾
におけるリーダー育成についてお話を伺った。

物事の成否はすべて考え方ひとつ

 私が塾頭として松下政経塾(以下、政経塾)に赴任したのは、40歳の時である。転勤した10月31日が誕生日だった。
 電子レンジの営業課長だった私にとって、政経塾への移動はまさに青天の霹靂だった。松下電器の創業者である松下幸之助氏が、人生最後の賭けとして私財を投じ、21世紀の日本を担う人材を育てたいという目的で設立した政経塾の、その主旨に感心はしても、私がやる仕事ではないと思ったからである。いやむしろ、政治家を育てることなど電器メーカーの一社員ができる仕事ではない、と思ったのである。
 企業人である以上、転勤命令には逆らえない。しかし、政経塾は幸之助氏の想いで創設された、いわば個人事業であることから、私はこの転勤を断固拒否することにした。上司も私を支持してくれて、この転勤を断ってもいいと応援してくれた。そして、1ヵ月間、営業の仕事をしながらも私は、1度も会社には出社しなかったのである。
 ところが、1ヵ月後に出社してみると、社内は大騒ぎになっていた。私をかばった上司が、人事部から攻め立てられていたのである。6,000人いる課長のなかから政経塾の塾頭に任命されたのは光栄なことであるはずなのに、本人に転勤を説得することもできないのか、というのである。これに対し上司は、私の意思を尊重し、転勤を撤回してくれなければ退職も辞さないと頑張っていた。
 これでは上司に申し訳ないと、私は直接政経塾に出向き、幸之助氏に塾頭就任を断りに行くことにした。経営の神様と呼ばれた幸之助氏との初めての面会だった。
 政治学科出身でもない私は、いわば政治の素人。とても塾頭など務まりませんと、私は正直に幸之助氏に訴えた。政治には関心がないと、あえて強調したほどである。
 告白すれば、「君、偉いな。できんものをできんと率直にいうことはなかなかに勇気がいることだ」などと幸之助氏に褒められて、いきなり事業部長にでも抜擢されるかもしれない、という期待もあった。しかし、幸之助氏からの返事は、思いがけないものだった。
 「君、政治の素人か。しかも政治に関心もないのか。そうか、そらええ」
 幸之助氏が発したこの言葉は、政治家を育てる仕事をするためには政治に精通していなければならない、という私の先入観を覆すものとなった。驚いた私は、なぜ素人がいいのか、その理由を幸之助氏に問うた。
「第1に、人間はだれでも最初は素人や。第2に、いまの政治が立派であるなら、政治をよく知っていることは意義がある。しかし、そうではない。そんな政治なら、知らんでいい。第3に、政治はわれわれの生活に密着している。素人といえども、これを放ってはおけない。第4に、私は新しい政治家を育てたい。新しいことをやるのだから、むしろ過去のことは何も知らない方がやりやすい」と、幸之助氏は答えたのである。
そして彼は、「物事がうまくいくもいかないも、すべては君の考え方ひとつだ。素人だから駄目だと思ってことに当たるようでは、それが負い目となりコンプレックスになり、壁にぶつかるたびにやっぱり素人には無理かと逃げてしまう。素人だからこそ、玄人とは違う良さがあると思って仕事をすれば、素人が活きる仕事ができる」と続けた。
専門的な知識の量は問題ではない。大事なことは熱心であるかどうかだ、と幸之助氏は説いたのである。

リーダーに必要なのは人間に対する洞察力

 相手の専門性を問わないという幸之助氏の姿勢は、学歴や偏差値に捕らわれず、その人の持つ人間的な魅力、それは可能性という言葉に置き換えることができるが、その魅力の源泉となる情熱だけを問うというものであった。
 国外にも子会社を持つ松下電器は、海外赴任によって現地スタッフとともに働く社員も多い。その際、英語に堪能であるよりも、むしろ英語を苦手と自覚している社員の方が高い業績をあげるという報告がある。
後者は、言葉によるコミュニケーションに自信が持てないが故に、さまざまな工夫をすることで現場に溶け込もうとするからである。言葉はたどたどしくても一生懸命伝えようとする姿が、現地社員や得意先の心を打ち、その人への信頼を増すことになるからだ。
言葉に不自由しない者は、それが過信となり相手の懐に飛び込む努力をしない。結果を残すのは、知識よりも情熱なのである。熱心であれば、結果はついてくる。なまじ経験があると、その経験に頼ってしまい創意工夫をしなくなる。
 この考え方は、政経塾の教育を貫いている。当初、私は政経塾のカリキュラムを組むに当たり、政治、経済、行政、財政、そして選挙講座と履修科目の一覧をつくった。
これを見た幸之助氏は、「こんなんいやや。勉強させるために政経塾をつくったんやない。政治を勉強しても政治家にはなれん」といった。経営学を勉強しても経営者にはなれない。知っていることとできることは違う。
「政経塾は政治学者をつくる学校ではない。政治家を、リーダーを養成する場だ」
 では、政経塾では何を勉強するのか。
 「人間を勉強する。リーダーとは、人間に精通した人のことだ」と、幸之助氏は諭した。
上手な羊飼いは、羊をよく知っている。羊を飼うのに、馬を扱うような接し方をしても駄目だ。羊がどういう動物であるか、知れば知るほど上手に羊を飼うことができる。
 「人間社会は、人間同士が飼い合いしているんや。だから、リーダーに最も必要なのは、人間に対する洞察力だ」と、幸之助氏は説明した。
人の気持ちが理解できなくては、人の力を結集して何かを成し遂げようとすることはできない。人はどんな時に気力が充実し、どんな時に意気消沈するのか。政経塾で学んでほしいのは、人間そのものである。
 「そうか、そらええ」といった幸之助氏の一言。経営者としての幸之助氏の人づくりの哲学が、この言葉には象徴されている。
少年の頃から実社会で働き、苦労してきたなかで幸之助氏は、人間に対する洞察力を磨いてきたに違いない。そして彼は松下電器を興し、経営の神様と称えられるまでになった。
リーダー養成に必要なのは、人間の本質を捉え、いかに対処するかを学ぶことである。

知識を実践することが知恵

 どうすれば、人間の本質を捉え、対処する方法を学ぶことができるのか。
 座学で人間の古今東西の古典や歴史を学ぶという方法もあるだろう。しかし、幸之助氏がそうだったように、生身の人間と接すること、自ら体験するなかで学ぶことが第一である。
 政経塾の教育方針に掲げられている“現地現場主義”という言葉は、この考え方を示したものだ。真実の情報は現場にある。塾生は、問題の核心となる場所や自分がテーマとする分野で、世界的に最先端にある場所に身を置くことで、問題の本質を掴み、解決策の糸口を探る。
 獲得すべきは知識ではなく、知恵である。
 「君らはすでに知識は持っておる。問題は、その知識を使いこなせていないことだ」と、幸之助氏は繰り返し言った。知識を現実に活かすことができなければ、いかに多くの知識を持っていても宝の持ち腐れに過ぎない。
整理整頓が大事であることを理解していても、整理整頓ができなければ、ただの知識過剰である。知識が実践できることが、知恵である。知識は増やすのではなく、活かすことだ。知識を活かすことが知恵であり、知恵は現実を生きるなかでしか磨くことはできない。そして政経塾は、知恵を磨く道場である。
 政経塾は、政治家を、リーダーを育てる場であるといいながら、一方で幸之助氏は、リーダーを育てることは不可能であると指摘した。リーダーは、自ら目指すものであるというのである。
“現地現場主義”と並ぶ政経塾の教育方針に、“自修自得”がある。新しい時代を創造するリーダーは、自ら進むべき道を知り、自らの足で歩まなければならない。塾生は各自テーマを定め、活動を計画・遂行し、結果について責任を持つというものである。つまり、自ら問いを発し、自ら答えを求めなければならないということだ。
まずリーダーには、強烈な問題意識がなければならない。そして主体的に学ぶことができなければならない。ゴルフの教則本をいくら読んでも、スイングを繰り返しコツを掴まなければ、ゴルフの腕前が上達しないのと同じことだ。
また、強烈な問題意識を持ち、主体的に学ぶという心構えがあれば、勉強の仕方も変わってくる。政経塾の五誓の1つに「万事研修の事」という言葉がある。これは、「見るもの聞くことすべてに学び、一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。心して見れば、万物ことごとく我が師となる」というもの。
学ぶべき師は、その道の達人だけではない。自分に問題意識さえあれば、隣のおばちゃんやわが子も師となる、というものである。幸之助氏は、犬が尾を振る姿からも感じるものがあったという。その時には、犬のしっぽが我が師となる。

リーダーに不可欠な要素は運と愛嬌

 入学金も授業料も必要ないばかりか、研修資金まで支給され、恵まれた環境のなかで自らを鍛えることができる政経塾への入塾を希望する者は多い。そのなかから、実際に入塾を許されるのはごくわずかである。その塾生は、どのように選ばれるのか。
 これは実に悩ましい問題である。
 日本が学歴社会であることは紛れもない事実だが、そうであるが故に人は人を判断する時、その人がどんな学校で学び、どんな学問を専攻したかといったことに極めて敏感に反応する。リーダーに必要なのは知識ではなくその人が持つ情熱である、ということを理解していても尚、その人に秘められた情熱がどれほどのものかを測るのは難しい。
 政経塾の塾生の選考を大きく左右するのは、面接である。しかし、限られた時間のなかでその人のすべてを理解することは不可能であるし、なにより、自分の器を越える人物を選ぼうとすること自体、不遜なことではないかという思いもある。
 生前、新聞記者に塾生の選考基準は何かと問われた幸之助氏は、次のように答えた。
 「運と愛嬌で選ぶんや」。第一印象で、こういう人がもし政治家になったなら応援したいな、そう思わせる人を選ぶと答えたのである。リーダーに不可欠なのは、運と愛嬌だと答えたのである。そして、「選ばれたということで既に、その人には運がある」と、続けた。
 塾頭就任を断ろうとしたにもかかわらず、幸之助氏の一言に私の内なる情熱に気づかされたともいうのか、運と愛嬌を備えた塾生たちを支え、リーダー養成に力を注ぐことは私の使命となった。14年後、政経塾の運営は政経塾の卒業生に任せることになり、松下電器からの出向である私も塾頭の任を解かれることになった。
その時、私はこのまま松下電器に戻ってしまえば、これまでの14年間で私なりに培ったことがなくなってしまうような気がした。そこで、私は松下電器を退職し、新たに“志ネットワーク”「青年塾」という社会教育の場を立ち上げることにしたのである。
54歳と半年だった。退職をあと半年伸ばせば、年金や保険などの老後につながる制度を活用することができることから、周りの人たちからは、退職をあと半年、伸ばしてはどうかと薦められた。このままサラリーマンでいれば、経営陣の仲間入りもできるのだからと説得してくれた人もいた。
しかし私は、政経塾を去ると同時に、松下電器を退職したのである。それは、少なからず私なりの矜持であるとともに、私が接してきた塾生たちや今後接していきたい若者に、私の決断を示すことが、1つの教材になると信じたのである。
政経塾のよき理解者であり、応援者であるが、今後の私は、政経塾のように政治という大きな舞台で活躍するようなリーダーを育てるつもりはない。社会の一隅にあって尚、その一隅を照らすような志を持ち、高邁なる精神をもって人生を歩もうという仲間が成長する場を提供したい。だからこそ、人生の決断を将来の安定と引き換えにしたくなかった。
政経塾は入塾の選考があるが、青年塾は「志高い生き方をしたいと願っている人」であればだれでも参加できる。時には、企業の研修の場として活用されることもある。そういったなかで多くの若い人と過ごすうちに私は、最近の若者に情熱が感じられないのは、勉強が足りないからだと確信するようになった。社会が貧しければ、飢えの不安から社会に対して簡単に怒りを抱くことができる。そして、怒りが社会を良くしようという志になる。
しかし、飽食の時代といわれる現代は、社会に対する怒りを抱くことは容易ではない。怒りは情熱である。情熱のないところに志はない。だから私は、若者に社会の、政治の、歴史の勉強をしろといいたいのだ。人間の営みを学び、さまざまな出来事を知れば知るほど、腹が立ってくるはずだ。その怒りが情熱になる。
 かつて幸之助氏は、政経塾では塾生を10年間学ばせたいといった。人間の教育には、それくらいの年月がかかると主張したのである。青年塾の研修は1年で修了だが、生涯塾生である。志を高めるのは一生かかるからだ。
リーダーは育てることはできない、自ら目指すものであるというのは真理である。しかし、リーダーとして立つ資質としての情熱に気づかせる手伝いをすることはできる。青年塾で私は、その手伝いをしたいと願っている。                                   (構成:浅久野映子)

じょうこう あきら
1941年大阪市生まれ。65年京都大学教育学部卒業後、松下電器産業に入社。広報、電子レンジ販売などを担当後、81年財団法人松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。96年松下電器産業を退職し、志ネットワークを設立、翌97年「青年塾」を創設し、現在に至る。主な著書に『志のみ持参』『続・志のみ持参』『志高く生きる』(以上致知出版社)、『心の革命』共著(第二海援隊)、『志は愛』(燦葉出版社)がある。

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