信州伊那谷に見た2つの異色中小企業
理念は社風をつくり、人材を育てる

リストラ、コストダウンと、いま多くの企業では厳しい経営環境を生き残るべくしのぎを削っている。そんななか、世間の風潮とはまるで逆をいく方法で着実に業績を上げている二つの異色企業が信州伊那谷に存在する。その秘訣は何か、両社を訪問し、社長に伺った。(フリージャーナリスト 宮本惇夫)

森の中の本社と工場

西に中央アルプスの連峰。東に南アルプスの雄大な山並み。その中央を流れる天竜川。通称伊那谷と呼ばれる山峡の盆地。その伊那市に伊那食品工業という一風変わった会社がある。飯田線の沢度(さわんど)駅から歩けば10分足らず。広がった赤松林のなかに伊那食品工業の本社、北丘工場がある。資本金9,680万円、従業員数約300名、年商109億円余り。寒天の製造販売を手がけている会社だ。規模からいえば中小企業の1つに過ぎない。が、その工場環境が素晴らしい。天竜川右岸段丘上に立つ6万平方メートルの赤松林のなかの本社・工場は、まさに緑のオフィス・工場と呼ぶにふさわしい。森の中に1本の道路が走り、左手が北丘工場、右手が本社となっている。北岳工場は通称「かんてんぱぱガーデン」と呼ばれ、林のなかに四季折々の草花が植えられ、さつき、つつじ、チューリップなどが美しい花を咲かせる。筆者が訪れた時にはソフィニアが赤や黄の花を咲かせていた。ガーデンのなかには「ひまわり亭」「さつき亭」の2つのレストランがあり、無料休憩所「あじさい小屋」がある。ガーデンはもちろん一般にも無料で公開され、年中観光客、工場見学客が訪れている。年間2万から4万の客が訪れるという。道路を隔てた右手が伊那食品工業の本社。2階建の洒落た建物で、一見リゾートホテルか保養所を思わせるような落ち着いた雰囲気を見せる。「本社社屋もまた設備投資の一つ。単なる生産の場ではなく、美しい町づくりに参加すべき」との理念の下に、電線はすべて地下埋設、道路を結ぶ歩道橋も自社で架けた。この本社・北丘工場は93年度の日本緑化センター会長賞に輝いてもいる。
伊那食品は大企業でさえもなかなか真似のできない、自然に抱かれた美しい環境のなかで仕事をしている会社だが、当然、経営者もまた独特の哲学を持って経営を行っている。

企業利益ウンチ論

企業で風土改革を目指す核になる人材の育成を目的に始まった「風土改革プロデュース研究会」(代表北村三郎氏)。その研究会が最後の研修の場として選んだのが信州南部伊那谷の2つの企業だった。その研修会の席上、講師に立った伊那食品工業社長塚越寛氏が、冒頭まず口にしたのが次なる衝撃的な言葉だった。「皆さん、企業にとって利益とは何だと思いますか。私はウンチだと思うんです」参加者はまず度胆を抜かれた。塚越氏は続ける。「健全な身体であればウンチは毎日出ます。人間でも企業でも当たり前のことを当たり前にやる、健全な企業活動を営んでおればウンチは毎日、自然に出てきます。企業利益とはそれだけのものでしかない」リストラで汲々としている企業の経営者から見れば、頭に血が上りそうな発言だが、塚越社長がそれだけの発言をするというのは、経営に対し明確な哲学と自信を有しているからにほかならない。「会社は社員のために存在する」これが塚越社長の考えだ。社員に人間らしい生活をしてもらう、人間らしい職場で働いてもらう、常にそれを念頭において会社経営を行っているのが塚越社長である。彼は高校生のころ、肺結核を病み三年ほど療養を余儀なくされたことがある。それが経営観に大きな影響を与えていることは確かだろう。伊那食品では原則としてパート労働力を使わず、スリーシフト勤務体制を採らない。「人間は本来、夜に働くべきではなく、夜間労働は家庭を壊す」という考え方からだ。全くパートタイマーがいないわけではないが、どこまでもそれは本人の希望を入れての勤務体制に過ぎない。

長靴よ、さようなら

1958年、再建に乗り込んだ塚越氏はいろいろな改革を行った。まずその一つは寒天製法の技術革新だった。トコロテンの素となる寒天がつくられたのは400年ほど前といわれるが、寒暖の差を利用してつくることから、早くから伊那地方で地場産業として発達をした。しかし、それはどこまでも農家の副業で寒い冬場を利用して生産をしていた。そんな季節商品だけに生産量も品質も安定せず、しかも相場商品であったため大手ユーザーからは敬遠されていた。伊那食品の前身伊那化学寒天は、家内工業だった寒天を工業化し、通年生産を目的に設立された会社だったが、経営に失敗し銀行管理下に置かれていた。そこへ派遣されのが塚越氏だったわけである。弱冠21歳の時だった。彼の改革の第一歩は、通年生産技術の確立。独学で化学知識を習得し、それまで固形状をしていた寒天を粉末状にすることに成功する。原料の供給先もまた国内だけでなく海外へ広げ、寒天の供給と価格を安定させ相場商品からの脱却を図る。こうして危機に瀕していた寒天産業を救い、工業化させることに成功するわけである。現在、同社は業務用寒天では80%のシェアを持っている。銀行管理に陥った会社を引き受けた塚越氏は、それこそ身を粉にして働き同社を再建していくわけだが、その過程のなかで「会社のあるべき姿」を問い続け、導き出した理念というのが「会社は社員のために存在する」人間尊重の理念経営だった。かつて寒天工場には長靴とゴムの前掛けが欠かせなかったが、塚越氏は「長靴よさようなら」運動を展開し、現場をできるだけ機械に置き換えていった。現在、業務用寒天工場など無人工場といってもいいくらい、すべて機械で処理されている。

急成長は望まない

「会社を急成長させない」というのも、塚越氏の理念である。急成長すれば必ずその反動がある。急成長すれば設備を増強しなければならないし、人手を増やさなければならない。といって急成長やヒット商品というのは、永久に続くわけではない。成長が止まった時どうするか。いま多くの企業で行われているのがリストラ、つまり人員整理である。リストラは塚越氏の経営理念には合わない。同社にはこんなエピソードがある。1981年のこと、同社は家庭用寒天ゼリーの素「カップゼリー80℃」を発売した。当初、長野県南部地区を中心に売り出したところ、これがある大手スーパーの目に留まった。スーパーのバイヤーは「ぜひ、当社の全国的な販売網にのせたい」と伊那食品に日参をした。スーパーの販売網にのせればヒット商品になることは間違いがない。ところが塚越社長はそれを2つの理由から断ったといわれる。1つは売上比率のバランスの問題。同社は寒天の売上比率を業務用6、家庭用4と固く守ってきた。もし「カップゼリー80℃」を大手スーパーの販売網にのせた場合、そのバランスが崩れることになり、業務用の技術や商品開発面に支障が生じてくる可能性がある。もう1つは、ヒットはいつまでも続かないということ。商品寿命が切れた時、生産設備や人員はどうなるのか。次の商品が開発できればいいが、もしできなかった場合は社員のクビを切らなければならない。こんなことから塚越経営を「売らない経営」と呼ぶ向きもあったというが、必要以上に会社を大きくしない、それが塚越経営といえる。塚越氏は「法定速度の経営」といっているが、かたくなに業務用6、家庭用4の売上比率を守り、着実に安定成長を図っていく。塚越氏はそれを心掛けているという。「企業は急成長する必要はない。しかし昨日より今日、今日より明日と進歩していかなければならない。進歩しない会社はつぶれる。そのためにも企業は年輪のように毎年成長し続けていかなければならない。たとえそれがわずか100万円でも」と塚越社長はいう。彼はそれを年輪の富、年輪経営という言い方をしているが、実際、伊那食品は利益こそ凸凹あるが、売上高は43年間増収を続けているという。伊那食品の社是は「いい会社をつくりましょう一たくましくそしてやさしく」と実にシンプル。その社是に向かって努力している姿を随所に感じた。

仏教が生んだオーガニックモヤシ

伊那谷の中央に位置する駒ヶ根市に、モヤシの生産量では日本第二位を誇るという「株式会社サラダコスモ」がある。といっても本社は岐阜県中津川市であるが、ここ駒ヶ根がモヤシの主力工場となっている。前田の「伊那食品工業」と同じく「サラダコスモ」でも生産はすべて機械化され、モヤシ工場とは思えぬ清潔な工場となっている。「この工場は建てて9年になる。モヤシ工場は5年で更新しないと世の中の注目をもらえない。そんなことでいま建て替え中なんです」と中田智洋社長はいう。モヤシは種をまき出荷まで1週間から10日かかる。最近はコンビニ弁当に使われることが多く、その場合、デイ・ゼロといって今日採れたものを今日中に客に届ける。そんな技術革新の波がモヤシ産業にも訪れているという。同業者は全国に約800社あるという。もともと同社は岐阜県中津川のラムネ屋「中田商店」が出発だった。中田智津氏は大学、それも駒次大学という仏教系の大学を出て家業を継いだ。これが後に彼の商売に結びつく。「大学はどこでもよかった。駒沢が仏教系の大学だということは入ってからわかった」そうだが、週に1度仏教の授業に出るようになり、だんだん仏教に興味を感ずるようになっていったという。大学卒業後、郷里へ帰り家業のラムネ屋を継いだ。ラムネの売上高など微々たるもので、しかも夏場だけの商品でもある。そこで冬の間、副業としてモヤシ栽培を行っていた。このモヤシ商売をしながら、常に中田氏は後ろめたさを感じていた。それはモヤシ栽培に大量の鮮度保持剤や漂白剤を使って商品に仕上げていたことだった。中田氏はいう。「仏教の極意というのは、人が幸せになるための思想である説法。与えて報いを求めない教え、つまり子を持つ母親の思いであり、アクションであるわけです。その仏教の極意を自分のビジネスに置き換えられないものか。胸を張って皆さんに食べさせたくなるモヤシとは何だろうと考え続けたわけです」何年考えてもいい考えは浮かばなかった。考え続けた結果、やっと出てきた結論というのが安心、安全という理念であり、「無添加、無漂白モヤシ」づくりというテーマだった。以来、無添加、無漂白モヤシづくりに挑戦、1972年、ついに無添加、無漂白、無農薬モヤシづくりに成功し、売り出したところ爆発的な売れ行きを示したという。「この時、経営には思想が大事だなと痛感しましたね」と中田氏は振り返る。

0-157事件を乗り越える

その後、85年には無農薬栽培のかいわれ大根の生産を始め、90年には社名を「サラダコスモ」にするなどして順調な成長を見せていくが、あるときそのサラダコスモに大きな災難が降りかかってくる。それはまだ記憶に新しい96年夏に起こった0-157食中毒事件である。その食中毒事件の原因視されたのがかいわれ大根。連日、テレビ、新聞で報道されたこともあって、かいわれ大根はバッタリと売上高が落ち込んでしまった。「会社は即死状態に近かった。あの事件でかいわれ業者の半分が廃業へ追い込まれ、半分が減産に追い込まれた。それも8割減産で、いまだそれは戻らない。マスコミ報道の怖さをいやというほど味わった」と中田氏はいうが、若いころ仏教を学び、その心髄を経営に活かしてきた経営者だけに、そう簡単にはピンチに挫けなかった。不慮の事故だっただけに、それを理由に社員を解雇しても決して非難されることではなかった。しかし彼は15年間蓄えてきた資金を取り崩し、それが尽きるまで踏ん張る決意をする。したがって給料もボーナスも遅らせたり、減額させることもなかった。その一方で、「サラダパスタ萌」「カイワレ旬菜」といった新商品を開発し、落ち込んだ売り上げのカバーに努めた。もちろん事件以後、検査体制を強化し、生産ラインのなかから1個でもサルモネラ菌が検出されれば、ライン全部の商品を捨てさせるほどの徹底ぶりを図ったほど。中田氏は、「これだけの検査レベルを持っていれば海外からは商品が入ってこられない。そこでいまは逆に輸出を考えている」と言っているが、それほど徹底的な検査体制を敷いた。こういったリカバリー体制を敷いた結果、売上高の落ち込みは短期間で済み、99年5月期にはピーク時を上回る42億円まで回復することができたという。まさにピンチをチャンスに変えたわけである。

対称的な企業に見る共通性

いま世界的に農薬を使わない有機農法食品が注目を集めているが、昨年3月には同社の「緑頭モヤシ」が、米国の有機食品認定機関からオーガニック認定を取得、今年1月には「大豆モヤシ」も取得した。同社は野菜の安全性追求のため、既に10年ほど前に米カルフォルニア州に自社農場を取得し、有機無農薬栽培によるモヤシやかいわれ大根の原料となる種子づくりを手がけている。またアルゼンチンにも進出をして「オーガニック農法」を展開する計画を立てているが、仏教思想に端を発した彼のオーガニック商法は世界を席捲する可能性もあり、目を離せない。
伊那谷に存立する2つのユニーク中小企業。両社には明解な企業理念があり、人間尊重の社風が流れているところに共通性がある。今回、研修会に参加したメンバーの1人光田敏昭氏(大安ホーム代表取締役)は次のような感想を寄せている。「非常に対称的な企業を見た。伊那食品工業は背伸びをしない経営。その範囲内で精一杯知恵を出す。サラダコスモは''与えて報いを求めず"の仏教思想を根底に置きながら、絶えず限界を超える意気で挑戦をしていく。人員配置も対称的だ。片や社員、片やパート主流。共通項は内外をきれいにすること。それに挨拶。生産技術と商品管理はトップ企業の力を見せる。企業は社風が大事。そしてその社風はトップの姿勢で決まることを感じた」
風土改革プロデュース研究会代表の北村三郎氏は「われわれの研究会では原理原則にかなった不易の経営を追求してきたが、その理想に近いものが中小企業にはある。これまでの日本企業の経営は経済優先主義だった。経営には経済性と人間性のバランスが必要で、いまほど人間性の回復が叫ばれている時代はない。伊那でわれわれが学んだのは、人を大事にしながらも企業は勝てるんだということだと思う」とその最後を締め括ったが、理念は社風をつくり、その社風が人材を育てていくということだろう。
                                (人材教育、平成13年11月号)



■トップページに戻る■